紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


服買いすぎ

年が明けてひと月が経とうとしている。でもまだひと月なんだ。元日が遠い日のような気がするのに。近ごろひどく散財をしている。アウターを 2 着、ワンピースを 3 着、ニットもひとつ追加したし、靴下も 6 足増えている。ベレー帽とかスヌード、手袋なんかも SALE の山から見つけてしまった。寒いと服が欲しくなりがち。着ている服が寒いのだ。問題じゃないですか。はじめに買った青のもこもこぎみのアウターとベレー帽をあわせて、カジュアルすぎてスヌードが合わないので首に適当な布を巻いたらアーティスト感がめちゃめちゃ出てしまって、なんらかの創作(造形系)をやっていないと罪、逆に罪、みたいになってしまったのであわてて紺のジャケットにした。変わった服装をしている時間が長くなると皮膚をとおして変わってる成分が浸み込んでくる気がする。錯覚なんだけど、そしてわりあい変わった服を着がちなくせにそんなことを思う。今期のわたしはおとなしい。柄物はほぼ無くて(1 枚、パン柄のワンピースを買わずにはいられなかったことを告白します)、色と素材、かたちで勝負している。すごい。えらいぞ、と思っている。赤い靴下 3 種類買ってますけど。おしゃれってよくわからんくて、朝に家で鏡を見て決めてはいくけど、出先で見るとちぐはぐな気がすることもあるし、すべてのアイテムがぼんやりしすぎて失敗と思う日もあれば、すべての要素が主張しまくってがちゃがちゃしていて恥ずかしくなる日もある。がちゃがちゃでもすましていられる胆力が、わたしには、ない。服を着ているとか着られているとか考えている段階ではまだまだで、ここから悟りの境地があるのだと思う。like a 美大生。前も書いたけど「美大生っぽいね」って褒め言葉ではないことを肝に銘じたい。着るものに翻弄されたくないと思えばジョブズのようにいつでも同じものを着るのが簡単で、服飾や身づくろいにかける時間が減るし、出先で恥ずかしくなることはないんだろうな。でも無味無臭な服を着続けていると、なんというか、人生の、心の花がしおれていくような感じになりよろしくないので、せめてひとつでもその日のファッションにポイントがあるのが大事だなと思った。わたしの場合は。ブローチとか帽子とかやっぱお手頃ですね。話は変わるけど、歳をとったらショートカットで金に染めている老婆になりたいので、それまで正気をたもっていたいと思うこと。髪質的に難しいかもとか思いながら。