紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


死にながら生きている

髪を切りに行った。前回切ったのはヘアドネーションで美容室自体が一年ぶりだったし、いつものところじゃなかったのだ、いつもの人に会うのは一年とちょっとぶりだった。元気でしたか、引っ越したんじゃないかと思いましたと言われた。必死にヘアドネーションのことを話して、「ここでもドネーションカットできるんですよー」という言説を引き出したところで安心して切った。また気がむいたらするかもしれないけど今じゃない、ドネーション。会うのは一年以上ぶりだったけれど、そんな感じもせず、でも白髪が、ふえた! みたいなことを確認しあってふたりで老いを感じあった。美容師の彼女も髪が細くなりゆくことを危惧しているらしく、将来のために地毛でドネーションしてウィッグをつくろうかなとか言っていた。ぜんぜんドネーションしてねー! と思ったけど、自分の髪だし、どうせ切るのだからいい案かも。ねんのため聞いたところ、髪の毛は生えてる時点でもう死んでる細胞なので、切った毛が変質することはないのだそうだ。死にながら生きている、と思うとふしぎな感じだ。死んだものに頭を守られている。髪の毛(爪とかもそうだけど)、抜けた時点でゴミとなり、部屋の片隅でコロコロに追いつめられたりする。身体から離れたとたんに汚く感じられる不思議。それは生とつながっていないからなのかと考えたりもするけれど。もうすでに死んでいるのさー(wowwow)みたいな感じだった。でもだからこそ人毛のウィッグはコテをあてたりできて美容師たちの技術の向上に役立っているのであった。でもほんとに昨今は人毛が高騰しているらしいので、じゃあもう全部再利用できるかたちで切った方がいいのでは、みたいなことを考えてしまった。おわり。