紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


飲酒人格認めるか問題

どうも酔うと陽気になるようで「珍しいもの見れてよかった」みたいに言われてセーフと思いきや、玄関で寝ちゃうやつはだめでしょうと思うのです。そのへんは価値観の違いもあろうけど、根底には酔時の自分を認めていないというか認められないというか、酔ってるときのわたしは別人だからノーカンって思ってる感じがある。

お酒を飲んだときの態度こそその人の本性という考え方があるけれど、それは平時の人格と酔ってるときの人格は地続きという発想で、でもそうじゃない、あれは別の人の仕業だから、と思って、ただ人々的にはそれはメジャーな考え方じゃないから誤解なきようにあんまり人前で飲みすぎないようにしようと思ってるのかもなーとか思った。酔ってる自分を自分とかぞえたくないのだ。

酔人格は別人説をとなえたいけど分が悪いとも思っていて、ああでもお酒だから納得しがたいんだけど、病気とか薬だったらどうでしょうという反論を持っていたのだった。生理の前とかにとてつもなくおかしくなったり、ストレスで性格が変わったようになったり、事故にあって脳の損傷とかで怒りっぽくなったりおとなしくなったりするようなこと、そんな事態にあってそれがその人の本性っていえますか、というように思っていて、身体の部位やホルモンの影響で人の性質なんてすると変わってしまう。ADHDの人が薬をのむと途端に頭がすっきりして生きられると言っていた。いろんなものの影響をうけて(生活歴とかではなくてその時々の影響)、どんな感情や態度が表出されるか決まるんじゃないかなと思うのでしたよ。これを言っても飲酒には分が悪いのかなー。お酒をのんだときは別人格と思ってつきあった方が楽だと思うのだけど。でもそれが一般的じゃないから(わたしは自分の酔っ払いを)受け入れがたいんだろうな。単純に生きづらそうだから、酔った自分を受け入れてみなよと思ったりもするんだけど(幸い、陽気なお酒っぽいからね)。でも玄関で寝て風邪をひいたり凍死とか、帰る途中で事故とか怖いから気をつけましょうねとも思うのでしたよ。それは少し別の話か。