紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


ひかり

関係しそうなものをばーっと出してチェックしてみるとまだまだ大丈夫というか、あれとあれがだめでもまだこんなに残っていていけるじゃん、となんだか明るい気持ちになる。ぜんぜん、生きてる。気持ちは浮足立っていて、善の方向というか、なにがなんでも光ある方に集約されていくような印象が、世界に、ある。それはとても美しいし、頼もしいことだと思っている。けれど、そういう認識って気のせいというかうそみたいに剥がれてしまうんじゃないかという疑念がついてまわったりする。世界の、感情の、書割感がある。それは世界が脆弱なのか自分が考えすぎなのか、誰がなにを考えたって現実は確かに現実なのだから(本当か?)。

同居人が(本当か?)とうたがう猫の絵を描いてくれて早くLINEスタンプにしてほしいんですけど、まかせたと言われたので1ミリも進まないんですけど早くLINEスタンプにしてほしい。生活は、そんな些細な、しかし確実な欠片を積み上げていかねばならない、と今は思っているフェーズ。思考はいつも同じなんだけど、そのうち飽きてつぎの段階に進む。今度はどんな嘘を思いつくのか。なんてことを書いてるから書割感から抜け出せないのかもしれないね。

自分は誰も見てないSNSでも更新し続けることができる、と思い至ってゾッとしたんだけど、自然は誰も見ていなくてもそこにある、みたいなやつかもと思う。本当かなー。自分だけは見てるんじゃないのーとも思うけど。まあそれはそれで自然か。その一方で過剰な時もあるの、自分と他者への不信がある気がした。それをよくないと言ってしまうのは簡単なのだけど、それで終わる話でもないからこれもちょっとずつやっていくしかないのだろうな。その過程で面食らわせてしまう人には悪いなぁと思いつつ。

ずーーーーーっとやらなければと思いながら後回しにしていたことに手をつけたら、だいぶ気持ちが軽くなった。気候のせいかもだけどいい感じだ。年末は久しぶりにのんびりできるといいな。