紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


生きる生きる生きのびる

短歌の友人 (河出文庫)

短歌の友人 (河出文庫)

 

穂村弘の『短歌の友人』を再読している。前に読んだときになにか書いてたかと思ったが書いてなかった。いぜんより短歌界隈のことを知ってきてしまっているので、合点がいったりもする。

おなじく穂村弘に『はじめての短歌』という著作もあり、『短歌の友人』とくらべるとだいぶ一般向けというか、『短歌の友人』を読む層だったら読まなくてもいいかもなぁ(読んでも物足りなさそう)思ってたのだけど、『はじめての短歌』のキーワードとなる「生きる」と「生きのびる」の話、『短歌の友人』にも通底、とまでいってしまっていいかわからないが、エッセンスとして語られていることに気がついた。同じ人なんだから当たり前といえばそうかもしれないんだけど。

▼『はじめての短歌』はエントリがあった

soulkitchen.hatenablog.com

 

「生きる」と「生きのびる」は違う、というの、たまに考えていて、そうだなぁと思うのだけど、両者は歴然と違うのにお互いが行き来することがある。あれ、そもそも「生きる」と「生きのびる」の説明いりますか。わたしの感じでは「生きる」は人生に不必要なこと(ひどい)で「生きのびる」は自分という個体(または家族とかもかも)が死なないために嫌でもすること(つらい仕事とか)だ。「生きる」の説明を「やりたいこと、楽しいこと」と書こうと思ったけど、たぶんそれ以外にも悲しいとかつらいとかでも自分自身から湧いてくるようなことは「生きる」なんじゃなかろうか。まあざっくりと楽しいこと、と思ってもいいのかもだけど。「人生に不必要なこと」とは『「生きのびる」に不必要なこと』かもしれない。定義していて沼にはまるパターン。

「生きのびる」ために意に染まない仕事をして身をすり減らして、という想像をするけれど、それは人によるし、ある日にその仕事が楽しくて「生きる」になるかもしれない。「生きる」(ため、というか成り行きで)うちに職業となったものがいつしか「生きのびる」ための手段になることもあろうし。単純に分断できるものではないなと考えた。

だからなんだといわれれば思いつかないのだけど、「詩を書く」ことは大半の人にとっては「生きる」ことなんだけど(仕事で嫌々書いてる人と詩にまったく興味がない人以外ね)、そればっかりやっていたら死んでしまう。詩を書くことは死に近いということが書いてあって、「生きる」なのにそれだけしてたら死んでしまうなんて皮肉なこと!