紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


みんなの前で尻を振った父を尊敬する

 前も書いたかもなのだけど、小学生くらいのころに児童館とか学童主催のイベントがあり子どもたちとその親たちが体育館に集められた。いろいろなゲームをやって、そのひとつにあげられた数字の人数で円になるゲームがあった。仲間に入れなかった人は名前をいう、そして尻で名前を書いて見てもらうだったか後者だけだったかもだけど、とにかく尻を大きく振り字を書いてみんなに見せなくてはならない。考えたやつ!!(出てこい!!!)という気もするが、それの何度目かで余りが出て、たぶん女の人か子どもだったんと思うのだけど、われわれの輪にいた父が少し迷ってから出ていってその人と変わった。それで父は尻を振った。当然というか、誰も読めなかったのでその後でこっちを向いてもう一度自分の名前を言った。ということがあり、わたしは尻を振った男の娘としてめちゃめちゃ恥ずかしかったとたまに思い出していたのだけどここ十年くらいは父よ!!(えらい!!)という気持ちに変化していた。補足すると、かれは体育会系な人ではなく、普段から身体をつかってふざけることもないのであの場面で出ていくタイプとは思っていなかった。

同居人と暮らしてみて数年が経ち、最初はかしこまっていたようなことも解けていき、人間とは好きな人物の前でも奇声をあげたり踊ったりするんだということがわかった。踊りに至ってはむしろ見せたいみたいなところもあるのでは。本気でふざけて踊っていると身体の細部が全部揺れ動き、見てる方も踊ってる方も楽しい。または適当にあしらわれるがそれでもいいのだ。わたしもたまにシェイクしている。シェケナベイベーだ。そういうことを考えていくと、あの頃の父もかっこよさのためではなく、単純に尻を振りたかったのでは、という気がしてくる。普段から踊ったりなんてしない父だった。両親が三人家族になるまでに二年、その間ではほどけきれずに踊りを見せ合えなかったのではないだろうか。しかし父の中の陽気な尻振り族が機会をねらってうずくまっていたのではないのか。かれは見せたかったのだ。自分の踊りを。他の人はともかくわれわれ家族に。という仮説にたどり着いてしまった。真実はわからないけれど、物語が何度か再構成されるのが興味深いと思って、もしかしたらまた十年後にもっと進んだ仮説を思いつくかもしれないし。実はダンスが好き? っていうのはチャンスを見つけてきいてみたいところ。