紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


意味段落

①髪を切った。ヘアドネーションのために髪を伸ばしているって書いたか覚えていないけど書いてない気がするけどもし知ってる人がいたらそういうことになった。ずっとショートヘアだったのだけど2年半くらい前に知人の結婚式があってその直前に伸ばしはじめた。髪の毛をセットするというのをやってみたかった。結局ぜんぜん伸びてなかったんだけど当日はどうにかこうにか形にしてもらった。それから少しの間、もしかしたら髪をアップにするイベントがあるかもと思って伸ばしていた。その結婚式に出席するか迷っていたときに話した人がいて、はじめはあんまり行く気がなかったんだけど、その人が「ワタシは楽しいことが好きだからたくさんの人が着飾ってワイワイしてて美味しいものが出るんだから行くね」と言っていて、そういう考え方もあるのかと思ってなんだか一転出席する気持ちになったんだった。結果よい式だったので行ってよかったという気持ちである。祝いごとはぶうぶう言わずに行った方がいいなぁと思った。ので、その人に報告したり感謝したりしてたんだけど、その秋くらいにその人は病気が発覚して一年後に亡くなってしまった。癌で、はじめは治る予定だったのがなにがうまくいかなかったのかそういうことになってしまった。入院のはじめは気楽だったのだけど、治療のせいで髪の毛は抜けてしまうといってウィッグをつけていた。帽子つきのが自然でよかった。それで、ヘアドネーションというのは医療用ウィッグのために髪の毛を寄付するという営みでその人にいわれてはじまった髪伸ばしがそこに終結するのは収まりがいいというかよすぎるというか、一年前から考えていたからわたしが見事に組み立ててしまった物語なんだと思う。髪の毛はだいたい一月に1cm伸びるというので2年半で30cm、寄付ができたら31cmから推奨なのでぴったりだなぁとか考える。また寄付するとしても2年半後だ。しばらくは短いままでいるかもしれないけれど。

②あんちょこがあって、それをなぞるような発表とか説明ってどうなんかなとずっと思っていたんだけど、一緒に読んであげる時間というのが必要なんだというのがわかってきた気はする。ただそれを受け入れるかはまた別の話だ。

③今年は色々したと振り返る。メルカリをはじめた、歌会に参加した(ネットのやつ)、某イベントのボランティアスタッフをした、おしゃれが身についてきた、ヘアドネーションもした、ほかにもある気がするし、今年はまだあるからまだ増やせる。

④これから起こることを予言しまくる人を見て、丁寧だけどすごい無駄だと思った。でも大学とかではそれがうけるんだろう。その人は時代に合わせてるだけでなにも悪くないんだろうという気がした。

⑤幸せを感じるということについてずっと考えているみたいだ。脳内麻薬が出てれば幸せを感じることはできるんだろうけど、意味としては正解なんだろうけど、それって幸せ?  って思う。思わない?  ひとつのところにとどまるというのがひとつの解ではある気がしている。井の中の蛙大海を知らず、だ。でもそれ、このグローバル社会で言える?  小さな幸せに立ち止まる、立ち止まっても生きていられるようになりたい。なってほしい。

⑥ガッキーのドラマでガッキーが「ばかになれたら楽なのに」というようなことを言っていて、でもばかじゃない人がばかのふりをしても辛さが募るだけなので、賢くならないが正解なんですねーと思ってしまう。本当に?  かしこい人は賢くふるまわないと幸せになれないのです。

⑦番号ふってるけど意味あるのかな。でもこれなんかなつかしいよね。