紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


電子書籍ってどうなの

家にある本全部積んだら身長越えると思った。雑誌だけでもたぶんそうなる。体重も負けてる。紙って。本ってやばい。坂口健太郎が表紙の雑誌を積んで坂口健太郎と同じ背丈にしたい。

いまだにむにゃむにゃ言って電子書籍の導入は未遂なんだけど、紙の本派の人の言で見かけて覚えているものをあげる(この文章の動詞すごくない?)。

・残りのページの厚みで今どのあたりを読んでいるのか知覚できる

左手に残るページの量を見て、メタ的に後の展開を予測してしまうことってある。つまり、(たとえば推理小説で)これだけページがあるから今うたがわれているこの人物は犯人ではなく、なんならあと数度事件は起こるな、とか、残りは数ページだから後はまとめにつかわれるな、とか。逆にいえば、そういうのをぶっ飛ばしちゃう作者のものだとまったくあてにならないんだけど。小説にかぎらずも、文章と自分の盛り上がりのリズムをそろえて読むことができる。実は無意識にそういう読み方をしているのかもしれない。わたしたちは。本を前に。

・ぱらぱらーってできない

流し読みってことなのか、たしかに紙束を右へ左へザッピングめいたことをしてしまう。それが電子書籍ではできない。もし探したい文字がわかっているなら検索機能が備わっていて、勘で探すより効率は 100 倍いいだろう。そうでない "あいまい検索" めいた方法のことを言ってるのかもしれない。紙が起こす風が好きなのかもしれない。たしかに電子書籍は匂いはなさそう。

あいまい検索といえば、この本の左側のページの真ん中くらいの行で、本の厚み的に位置はこのくらいに気になることが書いてあったんだよなーみたいな記憶のしかたをしていることがあり、その、内容以外の情報(視覚はともかく重量とか触角的な)をつかう検索は難しいのかなと思った。

とはいえ、これらは紙の本という旧メディアを知っているからこそ考えられる弊害で、幼少のころからデバイスに慣れ親しんでいる世代にはそもそも自覚されない問題で、紙の本はほんとに嗜好品になるんじゃないかなとは思う。今後はデータのみの書籍も増えたりして。そうなると SF 的感性がはたらいて、事故でデータが失われ、さらに荒廃した未来地球(はたまた宇宙)ではやっぱり発見されるメディアは本なんじゃないかなと思ったりもする。ケケケ。

あと、そう、・貸し借りできないっていうのもあると思う。でもゲームソフトみたいにデバイスごと貸したりするのかな。しかし個人情報とかちょっと怖い気もするし、URL 教えあうみたいになるのかな。ここはあまり考えたことないな。CD-R に焼いてあげるのかな。

みたいなことを考えて、いざ電子書籍を買うかもなと思ったときに、忘れていたのが価格のことで、データだからって別に安くないの(今のところ)、めちゃめちゃうける。形のないものに金を払うの、いまだに苦手なので LINE スタンプ買うとこからはじめなくっちゃ。って先日、古本屋で『火の鳥』全巻セットが破格だったときに思ったこと。