紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


寝られるだけ寝てみたい

みたいなことを考えている。今までだってそんな感じだった気もする。わたしは寝られるだけ寝たい。これは比喩表現かもしれなくってよ。働くこととか、すべて、大仰に考えすぎな気がする。適当さがたりない。いやいや適当でしょという気もする。すべてのはざまにいる。なにかに合わせられるとやったと思ったり、でもそれがすべてじゃなくて、合わせられなくてもいいけど、「合わせないのが正解!」ではない。というか。

鼻のどの調子がずっと悪くて、夏のあいだマスクを手ばなしてたからかもしれないと思って、最近またマスクをしている。ちょっと悪くなって耳鼻科にいったら、去痰剤をもらって、飲んだらなおるんよ。鼻ものども快調。よーし治ったと思ってやめるとまた同じ症状。薬が終わっちゃったから今は調子悪いの平常。ふと思い立って去痰薬の市販品をしらべると第2類医薬品であるっちゃある。その名前で検索した途端にずらっとならぶネット商売の店舗たち。ヒエーくわばら。のぞいてみるとのっけから50%オフで、実店舗に勝ち目ないでしょって感じがする。しかも2個、3個と重ねていくとさらにオフされる! なんつー仕組みだ。最近は気乗りしなくてamazonとかいわゆる「ポチる」行為は避けていたんだけど、知ってしまうとここで買うのが正しい気がしてしまう。また別の問題としてこの慢性的な鼻のど不調には理由があるはずで、快適さのためにそちらの探求を怠ってはならんという気もする。ネット通販憎しで勝手な論を展開するわたしに本末が転倒。

最近は詭弁の気配を察すると同居人が「出たよ」と言ってくるので生きづらい世の中です。そういわれるとわたしも混乱してしまうのでよくない。詭弁を指摘するのはメタ行為なので慎んでほしい。薬の価格がネット店舗ごとに並べられるのもメタだし、それが今世みたいな。新しい世を見つけるには現代感覚(昭和感覚かもしれません)が必要で、それは現状否定(急性代の嘆き)かなすにまかせよ(ものわかりいいふり)のふたつの反応を思いつくんだけど、どっちも古い気がして、新しい受け止め方の開拓にいそしむ。