空想の椎名林檎
皮膚の上で滲んでいる水滴になる前の汗の発露を光が描きだしている。肉体の尾瀬。
わたしの中で椎名林檎は『勝訴ストリップ』で止まってるところがあって、
「東西線はあたしを乗せても新宿におろしてくれなくて」
椎名林檎にとっての東京ってどんなところだったんだろうかとか考える。新宿に行きたかったのに(東西線では)おりられなかった、なんて言ってしまったら詩的にしたかったのにごめんとか思うけど、のだとしたら東西線には乗りつけていないんだろうなとか、新宿に用事があったのかなとか思うし、慣れない電車で慣れないところに行く上京者の不安さ寄るべなさを思ったりする。
なんでこの歌詞が気になったのか。椎名林檎の東京は新宿や東西線付近ではなくて、じゃあどこなんだろうっていう空想は今はじめてしてみたし、なんていうか椎名林檎って東京にいるの? って感じがするからかもしれない。福岡にいるんじゃないの? って気がする。いやまあ最近の活動を見れば東京にいるのかもって思うんだろう、と言ってみたけど最近の活動をそこまで追ってないのでそんな感じを受けるのかは知らないのでごめんだ。ずっと空想の椎名林檎の話をしている。『勝訴ストリップ』でほぼ止まってしまったわたしの中の椎名林檎はどこに住んでるのかわからない。まだもし東京なんだとしたら流石に慣れてますかね。乗り換え得意ですかね。
どこ住みの「住み」は「ずみ」って読みますね、言ってみましょう「小泉どこ住み?」