紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


お夏

お夏。いかがお過ごしですか。じっとしているだけでも汗がにじんできて、嫌ンなる風ですね。日射しは強いものの自転車に乗ってみれば風があり、意外といけるぞ、夏。とか思ってみる。空の青の深さと雲の高さでもって、いよいよの夏らしさにつっこんでいく入口にも見える。遊歩道の周りの樹が額縁だ。何枚もくぐる。ますますの夏。それしか言ってない、夏。それでそのまま浴場施設に行く。平日の午前中。わりに混んでいる。一時間後に待ち合わせをする。脱衣所の出口の隣にはウォータークーラーが設置されていて、人が出てきては水を飲んでいた。大浴場はむっとして独特の匂いがする。カランと鏡がどこまでも並んでいる。薬湯と書かれた茶色い湯には頭にタオルを巻いた女たちが群れていた。なぜだかサバンナの風景を想起させ、その隣の透明の湯に入る。他にもリラクゼーションの湯とかジェットバスとかがあったが、とりわけ大きな浴槽があるわけではなく、銭湯の感じは薄れた。サウナ。ここに来た大目的はサウナ、そして水風呂、熱で身体をめちゃめちゃにしたかった。それは自律神経整っていない疑惑からによる。サウナは階段状になっており、白いマットが何枚も並んでいた。余分に囲われたテレビモニタは芸能人のたくさん出てくるニュース番組が映され、ホー平日でもこんなに芸能人が並ぶ、とか思う。先客たちは何もいわず画面を眺め、じりじりと熱気に身体を洗わせていた。見るからに熱の原因と思えるストーブ様の機械があり、空気は乾いていたが、そう思うのを通り越して焦がされるような舞踏めいたチリチリが皮膚を撫でる。息をしたついでに内側からもチリチリ、奪われるような感覚に目をつむる。水を絞って持ってきたタオルを身体にかける。その下は安全地帯、しかしそれも奪われていく。チリチリ。乾いている実感とまた反対に熱気がもたらすうるんだような色気、砂漠にいて、まぼろしの雨を見るような。乾いていて、潤っている。熱は表皮をつたって口からも入り込もうとする。変わらぬ自分の温度が相対的にひんやりと蛇の舌のようにひらめく。ちらちら。テレビの上の時計は外とは違う刻み方をして、自分のなかで数をかぞえて外に出る。すぐ外に水風呂があり、かけ湯をしておそるおそる入る。しばらくはいいが、徐々に水の冷たさを感じ、足の先から寒みてくる。夏に行く川を思い出す。谷川岳の地下からやってくるのだという流れは真夏でも冷たく、犬も嫌がって石の上を歩く。十秒と足をつけていられない。すぐ馴れるよと笑いながら言われるがどう考えても無理だ。そして馴れた人は岩をひっくり返して魚をさぐる。不思議なことに輪郭から冷たさがやってくるのと同じように、内側が熱を反射し返している。見えないサーモグラフィーをまたもや幻視。境界がひとまわり小さくなって自分を主張しているようだった。ざぶんと遠慮なく入ってくる人がいて肩まで水につかる。おお、なんておそろしいこと! わたしもおそるおそるみぞおちまで浸かってみて、でもやっぱりやめて段に座りなおす。自分のまわりの水がぬるんできて清新さを失っていると感じる。足首を動かしてかき回す。冷たき水よ! 膚をとおって冷たさが入り込もうとしてきて、呼吸で自分の熱さを知る。風邪のときみたいな熱が吐き出される。氷の中で核がちろちろと燃えている。こちらもやはり時間を数えて、時計は正面に見えたが、秒針は垂直になったときにきらりと光って見えるだけだった、ざぶんと出る。それを何度か繰り返し、自分がよくわからなくなったところで出る。正直、寝転びの湯でぬるい中で寝ている方が100倍楽だったのだけど。でもなかなか。隙間から見える青空を薄目に夏の中に転がっている身体の無頓着、ひらかれているのは何だったろうか。おんなたちのはだかの無防備さ、ここまでは服を着てやってきて、それからあらわになった、締まりのない放蕩さをだれも非難せず、青い空とにょっきり生えた高木の動かなさと同じくらいの自然さでただそこにある身体。