紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


2018

年末年始は実家に帰って、なんか、家が古すぎて寒くて散らかっていて、嫌といえばわがままな娘だなって感じだけど、気持ちを虫食んでくるので、つらい、といえば途端に被害者っぽくなれる。のでオススメ。あ、じゃあ、言い方を変えたら自分の印象を変えられる話、します? 脱線がひどい。いた間ずっとお腹の調子が悪かったのと、帰ってきて肥りが、このお腹の存在感がすごくて(戻らないし)、もう実家には帰りたくないという気持ちになっている。学生時代とか、仕事をはじめてから、とかは実家が大好きだったのに。ふだん接している人との話のかみ合わなさがあって、あー実家の人たちは言動の裏も読んでくれるのに―(文化資本ー)とか、まあ当たり前なんだけど、思っていたの、今はもう裏返って、実家の人とする会話ないものね。話題がまったく合わなくて、今の暮らしが、"わたし"になってしまっているらしい、どうやら。血縁者がそれだけの存在になってしまうの、しょうがないかもしれないし、薄情かもしれないし、でも一番ショックなのはわたしですからね!! とかまた言ってみたりする。しょうがない。それはまた変わっていくかもしれないし。

 

2016の終わりに転職をして、2017年は仕事がとにかくつらかった。これは本当のわたしじゃないし、っていうの、いつものやつ、があり、じゃあ本当のわたしってなんなん? みたいのは今もずっとやってるからゆるしてほしい。ただやっぱり、なにごとも慣れるということとか、その瞬間の視点ばかりになってしまいがちなのが、長いスパンで見ることを信頼できそうな気がする。また転職しても、一年くらいはつらくて、こんなのわたしじゃないわたしの仕事じゃないって思う(かもしれない(そう思わない転職をしたい))のも予想がついたし、それはそのうち改善されるだろうということ。慣れてしまうというのも問題だと思うけど、慣れてからでないと構築できないものもある。しかし永遠に門外漢でいたいので、なかなかむずかしい。

ああ、それで仕事はまあ慣れて、でも春から夏にかけてくらいはずっとつらかった。定時という言葉がかがやいてた(これは単純に人数の問題でもあったよ、、)。それのせいなのか、自然ななりゆきなのかわからないけど、大人になってしまった、青年期の終わりがあったことを実感する瞬間があって、でもまあ最近また元気になってきたからそんなものは幻想なのかもしれないけど、とにかくわたしはもう若者ぶらないぞ、というかなしい(かなしくないかもしれない)決意をしなくてはならなくなった。結婚したり子どもがいるわけではないから、そういう人たちよりなかなか実感できない感はある。個人的にはそういう制度的な外形的な部分で自分をつくろうとする(そう見えるだけかもしれないけれど)のって、どういう感じなんだろうと気にはなる。「家族ができた、こいつ(ら)のためにおれは(わたしは)がんばらなければいけない慎まなくてはいけない大人にッ! なるッッツ!!(ドンッ!!)」(○○しなければって言い方を多用すると苦役感ありますけど、本当はもっとハッピーな気持ちなんだと思うんですけど)っていうの、本当にあるの? 昭和とか映画とかに騙されてない? もっと新しい生き方あるんじゃないの? って思わなくもない。いやまた脱線。人は人、自分は自分ってもっと割り切った方がいいねたぶんきっとね(人は人中田は田中っていう言い回しを今変換候補で知ったよ)。

ええとそれでなんだっけ。とにかく2018年は自分を子ども側に置くのは禁止にします。三十路すぎてみたいな話をまたするのはしんどいので省略、とにかく「自分はおとな」という自覚をもって生きます。グッバイ青年期。もっとちゃんと話し合ってからお別れしたかった。でも別れとはこういうもの。

そのくらいかな。でも手帳とか見直してみるとつらいつらい言ってる割にライブとか映画とか展示とか行ってて、つらいの原因それだろ! って感じがあり、でも結果的にそれが「がんばった自分」の証左となって満足感になっている。しなければいけないことがあり、そのために行きたいものを我慢するのは難しいみたい。衝動性がすごい。それでもかなりセーブした気がするんだけど。だから多分今年もいっぱい遊びに行って、やらなければいけないことは締切ギリギリになんとかやってつらいつらい言いながら年末にはあーでもこれがわたしーって思うのかもしれない。いろいろリセットさせる新年にはそういう力がある。

正月があると一年のまとめエントリを書かなきゃいけないとか今だって引きずってひきずってこれを書いてるし、後手後手人生的には後遺症がすごいので嫌だなとかも思っているんだけど。なかなか難しい。難しがりながら生きていこう。というのが年末年始と新年の雑感だった。

 

それで今年したいことを書いておこう。

運動をしなくてはいけない、自分はまったくスポーツマンではなくてインドア人間なんだけど、歩くのと登山は好きで、ただ正月のせいかお腹がぽっこりしていて戻らないのがつらい、ただただつらい。身体が重いのがゆるせないのだ。春先にピラティスをやめちゃったのがここで出てきたのだと思う。月一の登山に期待とか言ってられないので最近はジョギングとかしている。あの! インドアでネクラの紙! ちゃんが! でも精神が荒れるのにはあんまり効果がない気がして、合気道とかやってみたいと数年思っているんだけど、武道系は足の裏が固くなるといわれて嫌ってなった。肥りにしても足の裏にしても、自分のかたちが変わるのが嫌なのかもしれない。そしたらヨガかな。流派の分かれるものは偏ってたらこわいから、広く浅い感じで選ぶことが多かったんだけど、今は気持ちが違ってきていて、めちゃめちゃとんがっている先生とかに習ってみたい。「えっ、あの人に……!」みたいな。眉を顰められるような。でも信者も多いみたいな。ここまで書いてみて思ったけど、でもそういう人は気性も荒くて周囲の人を振り回すかもしれないからやっぱりやめとこうかな。要検討。

引き続き勉強はしていかなくてはいけない。つらいはつらいんだけど、それははじめる前まででテキスト読みだしたらそれなりに楽しんでいる。あと、「やれば終わる」と思えば気は楽になった。やれば終わるのだ!

あとは短歌・パン・編み物・刺繍をしていきたいな。忙しいとき、心がカサカサなときはパンつくりたいとか編み物したいとか手がふわふわしたものにふれたがっている。犬か猫か羊とかが必要なのかもしれない。でもネットでかわいーい犬や猫の画像を見すぎて、最近は犬も猫も怖いのだった。

 

【1/21追記】

もろもろ成り上がりたいみたいなのはないけど、広く活動したいな。文フリというやつ出てみたい(迷ったけど書くだけ書いとこう)。友達ほしい。あとちゃんと日記を書く。紙のやつ。どこでもいいんだけど、どこかに一度書いておかないとブログでそれが漏れ出してしまっていろいろ障るから。