紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


危険すぎる

浅井健一の「危険すぎる」をきいてるんだけど、歌詞が最高だった。っていう話をしたら、そんなことはみんな知っており、2017年末にベンジーにうけてるのはわたしくらいであるといわれてしまった。

 

 

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コーラ買ってくるけど他になにかいるものあるってきかれて「スケッチブック」っていうところ!! そのこころは「笑顔を描きたい」!! やべー感じがやべーのでめちゃくちゃいい。

 

雑貨屋の前なんぞを通りかかってみたら店頭にはクリスマスカード、赤と緑と白でそれだけでなにかわかる。精査不要。そういえば昔、クリスマスカードを贈りたくて、でも相手を思いつかなくて実家に贈ったことを思い出し恥ずかし!! ってなったけど、ふとグリーティングカードを送って、それを受け入れてくれる人が欲しいのだった。

二十年近く坂本慎太郎を是として生きてきたため、「友だち少しいればいい」と思っていたんだけど、ここ数年、人間関係がまったく動いていないことに気づいてそれはどうにかしたいとか思う。

さてそれで友達。そもそも(わたしにとって)友達の定義とはなにか、なにをすべきかみたいなことを考えはじめ、地元が同じで思春期を一緒に過ごした友達、というのは今さらつくれる類ではなく、勉学や仕事の同期というのもあり(これは血縁、地縁、社縁、という歴史的な人間関係の変遷のやつを参考に考えました)、ではそのほかはなにかといえば、好んでつくる縁だよなぁと思ったので、わたしには今、自発的につくる友達が足りないのでしょう。今までの縁が結婚出産とかで離れている面もあるかもしれない。

何をすべきかってことについては人によりけりではあるのだけど、現状の友人たちにわたしがしていることは、①誕生日祝いのメッセージを送る、年一回だけしかやりとりしない人もいるけど、とりあえず生存していることを喜び合う人々。もうちょっと絞ると②年賀状のやりとりをする、これは数えてみたら五人だった。この人たちには何かあったら連絡が行くようにしたい、ぐらいが現在のわたしの友人関係。年賀状やらメッセージを送る相手が増えたらいいと思うのだけど、それは発現ポイントであり、そこにたどり着くまでにいろいろあるのだった。

友人募集のつもりではないんだけど、ツイートに反応をくれる人が少しだけどいたので、そこは素直にうれしく、自分が縮こまっていたことを感じた。ブログもTwitterも一人遊びみたいなつもりでやっていて、それは思えば自分なりの防衛策なのだったけど、もう少し他者とやりとりをしてみてもよいのではないかと思った。誰かにあてて書く(話す)っていうのがたぶん足りないんだとおもう。あっとうてきに。わたしに。