散文、種
言葉にしてしまうと窮屈だ
ことばにしてしまうときゅうくつだ
というのはなんどもかいているけれどきほんてきにそれはせいだからとどまっていることもしくはとどまらせたものをかべにきざみつけている
かべにきざみつける
ほんとうにそうかかれたことばはいきをしていない
というのは何度も書いているけれど基本的にそれは静だから。とどまっていること、もしくは留まらせたものを壁に刻みつけている。本当にそう、書かれた言葉は息をしていない。
漢字はきゅうくつ だけどひらがなが自由かといえばそうでもない
ひらがなはきょうしつのこどもたちのあたま ひしめきあっている
『モモ』の氷漬けにされた時間の花たちのことを思い出す。モモはがんばってそれを解放する。
言葉に少しでも息をしてもらうためにいろいろやってみる。考え中の言葉たちはまだ息ができている気がする。こやつらをとどめぬように、少しでも元気でいてもらえるように苦心する。
とかいいつつ、日誌も好きなんだけどね。起こったことや感情をそのまま記録する。その言葉は死していない? でも読むといろいろ思い出されて、そのとき生きているのは記憶。その場合、言葉を道具としてあつかっている?
日曜日の中学校の体育館、大会でバレーを応援している、休日出勤、振替休日、散文
種のことを考えている。