紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


世界内包世界

外出って情報量多いと思う。午後の電車、微妙な街とまあまあの都市をつなぐ二十分の旅路。名前も知らぬ何百人と一緒に移動する。向かいの席に座った母子を見て、真ん中に座った女の子がビニールの巾着を何度も通路に投げ捨てた。そのたびに母親が拾い、隣の姉は本を読みながら諫める。表紙がちらと見えて「どうぶつの森」と読めた。その隣に座ったもう一組の母子は子が降りたいと叫び、「あとみっつだから」と言いふくめられている。でもたしかに。思惑通り素直に電車に揺られていると思ったら大間違いだからな! という子ども側の熱い意思。最後の電車ではベビーカーの中で泣き叫ぶ子どもがいて、イヤフォンごしにそれを聴く。あまりにも泣くからみんなが見ている。自分の不快を思いきり知らせている。それをしていけなくなるのはいつだったろうか。ぱたと声がやみ、どうやら寝たらしいというところまで共有して降りる駅。騒がなければだれも振り返らない。

大量の無関係なひと、を見たあとはなにかがおかしい気がする。たぶんなにもおかしくないんだろうけど。わたしの世界と世界のすべてを調整する。両者が地続きだっていうことが信じられないんだった。でも、この調整必要なくない? っていつも思って悲しくなる。個人の閉じた世界だけを信じていられればよっぽど楽ちんなのに。がんばってチューニングを合わせても、大きな世界がわたしをすくうことはないのだ。