紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


メモがないと迷宮入りする

大事なことがあったのに忘れてしまった。気がする。

 

 

ドラマ、過剰すぎてギャグだと思ってみてるんだけど、ドラマ自体はいたってまじめに進行されている(まあ秋元康原案だからなという気持ちはある)。

主役の福士蒼汰さんは十年くらい前に父親を殺してしまい、死体は庭に埋める。その秘密を母親と隠したまま生きてきた。それで現在は司法修習中で弁護士になりたいと思っている。それで、罪を犯した身だからこそ言えるセリフがあったりして、それで感激した人が取り調べをちゃんと受けるよアリガトウってなったりする。かれの過去と人生が絡み合い、呼応しあっているのをわたし達は見ることができる。あとはまあ隠されている(福士蒼汰さんも知らない)謎部分があり、視聴者を離さないゾ……! みたいな。

 

それでそこからはもうドラマからは離れてしまうんだけど、過去の出来事により未来を人生を選択する(される)というのはとても自然なことで、ドラマの中で福士蒼汰さんが弁護士を志しているのもおそらくその事件のことがきっかけなんだと思う。子どものころに入院した経験から医療従事者を目指すとか。本が好きだったから司書になるとか編集者になるとかもまあそうか。そうした(現在の)自分を規定するもののことを考える。それは職業以外にも影響する。ぜんぜん違う仕事をしてたって、たとえば福士蒼汰さんがお花屋さんでもパイロットでもIT企業にお勤めでも過去は襲ってくるし、ドラマにだってできるんだろう(というような可能性を考えたうえでドラマは弁護士志望なんだろうけど)。

だんだん話が横道にそれて迷宮入りしそうな感じがしてきたからがんばって戻そうと思うけど、その起点がネガティヴな、口に出すのが憚られるようなものであった場合のことだ。表には出せないそれが自分には重くのしかかっている。仲間はいる。自助グループみたいなものだ。すべて(じゃないかもしれないけれど)わかってくれて、それでなお優しい空間。ほかのメンバーだって同じような体験をしている。そこでは経験を話せるかもしれない。しかし一歩外に出てみるとどうだろう。けっきょく自分は傷を秘密にしてかかえているのだ。

というところまで考えて、多かれ少なかれ人はみんなそうなんだよと思ってみようとして、でもその一般化はだれも幸せにはしない気がする。だってその傷はどうしたって個人的なものだから。傷の大小や多寡は人間の価値に影響しない。として、傷が少ないからってえらいわけではない。として、傷が大きいからえらいわけではない、というのは当人にとっては損したような気分になるかもしれない。がんばって生き抜いてきたのに、がんばってない(少なくともそう見える)人たちと同じってしんどいな。など。でも可哀想がってほしいわけではないから難しいですね。

やっぱり迷宮に入り込んでしまったのでこのへんで切り上げる。わたしが書いているのって話の段階としてはメモとかに書いてこれからまとめられるレヴェルのことなんじゃないかなって気がする。