紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


summer is almost gone

もしかしたらもう残暑にも会えずに冬になってしまうのかもしれないという気分と生活を区切って詰め込んで窮屈にしているのは自分自身なのかもなと思う。余暇がとれないのは諸々の事情によるし、ともかくそれを先に片づけなければ。というのが半年経ってようやく実感されたというか(尻に火がついたともいうか)、それでも隙を見つければ休みたい遊びたいの方へ流されるし、っていうかたぶんかなり遊びに行っちゃっている方だし。なのでもろもろぎゅうぎゅうなのだろうな。期限付きの仕事か遊びか、遊びを我慢することができず、我慢してしまったら遺恨が残る。自分にだけど。一日はその日しかないからという信念にもとづく。つまり、遊びを我慢してこれが済んだら思いっきり行こうというのが通らない。人は死んでしまうしバンドは解散してしまうし夏は行ってしまうし。たった数か月のことなぜ我慢できないんだと思われるかもしれない。それが性分なので、遊びも義務も(仕事も)少しずつ前進、わたしの人生もじりじりと前進している。なにをしようと感じようと、一年後には、五年後には、十年後には「いい思い出」にしかならない気がして、ならばまあどちらを選んだっていいのだけど、目先の行きたさ、そしてわかりやすい苦労(疲れ・体調不良等)をとってしまうのだった(そのわりに安牌とろうとする向きもあり悩ましい)。

やりたいことを全部やるという心性は、大事ではあるけれど、どだい無理な話でその場合に取捨選択がなされるのだろうけど、そのときに「我慢する」でない解決策というか抜け道を見つけないと今後つらかろうにと思う。もっともっとやりたいこと、とか巨大な体調不良とか。現状がやらなければいけないこと(それも「やりたい」の前段階なのだけど)との対置であるから「我慢」になってしまい、我慢は嫌だって思うんだろう。