紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


バランスとり人類ってキャラじゃないじゃん

息も絶え絶えの夏にどうにかしがみついている。今年の夏はおかしい。なんていって、来年にはもう忘れてしまうくらいのことで、暑かろうが寒かろうが夏の狂気に毎年やられてしまうのだろう。

 

「あんたの好きな映画はカロリーが高いよ」といわれて、そうなのかもしれない。なににも斬りこめていないものなんて無価値だと思う。毒にも薬にもならないものもこの世にはあって、それがもてはやされていること、なんとなく知っていたけど、最近実感をともなってわかってきた。しかし、ほんとうに疲れているときはそんな何でもないものに癒されるのだということもわかった。病人にステーキは無理だ。なんて書きはじめると、それらを好んでいる人は病人だみたいな話になりそうで(いやもうなってるがな)くわばらくわばら。そういう作品にも価値はあるのだ。こころが静かな状態は必要だ。でも、わたしは根源的には前者を求めてしまうらしく、元気であるうちはカロリーてらてらのものを愛していこうと思うよ。

 

一方で肉肉しい料理や油料理が苦手で野菜や豆類ばかり好んで食べていたら、同居人が肉を食おう強化月間(人生単位)をはじめてこてこての肉料理道を模索しはじめてしまった。夏ばて的な感じで肉を避けていたらさらに体調が悪くなる負の夏ばてスパイラルに入ってしまうのをうけてのことと思われるけれど。

記憶によれば、このあたりのことも以前書いたのだけど、お互いに食の嗜好をすり合わせている感じがあり、そこにてこ入れされているよう。「わたしが肉大好き女だったらどうだったか」というパラレルの話をしたところ、「そしたら野菜を食おう強化月間をしていただろうね」と返されて、バランスとり人類じゃんと思ったこの頃。

 

秋から冬に向かう途中のキュッとしぼむ感じかなり好きだった。「人肌恋しい季節」ってそれをわかりやすく言い換えた語だとわかった。