紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


好きなものたち、さぼってる

八月はとにかくわちゃわちゃしていて、一週間くらいごとに山があり、それをどうにかサーフィンサーフィン。歌舞伎の見栄みたいなイメージだよ。足腰ふんばっています。予定をぎちぎちにしちゃうの悪いくせなんだけど、予定がなかったらなかったでのんべんだらりとゆるみきってしまうのを知っており、それはこわい。こわがらないで開き直っていければいいのにね。文章もそういえば、もっとちゃんと論理的な文章を書くべきなのだよと思ってみたりもして、でもそこで踏ん張れないのも軽薄な気がして、軽薄な文章の足腰は重く、というか鉛でも入っているかのように動かないぞなんちゃって。フットワークは軽い方がいい。というのは直感のような強迫観念のようなものだけど、それを信念として、でもそれの「流行にのる(流される)」のと違うところをさがしたりしてね。ふっと話をきいた人の、まあまあ歳上の人とかだと驚くべきスパンでいろいろなことに関わっていたりして、全然好きじゃないといいながら仕事を十何年してたりとか、両親だってなんだかんだ結婚生活三十年続けているわけでしょうヒエーつってヒエエエー! つって。ひとつのことを十年もやれる気がしなくて、長く続けたと思った仕事だって十年はしてないし、ゴムのような時間の伸び縮み、パンツにたとえたら顰蹙かしらとか考えながら。直観は「一瞬しかない」を指示していて、この一瞬が積み重なることなんて考えもしなくって、ていうかそれを積み重ねたとして量以外になんの意味があるんでしょうね。等。好きなものたちは思い出して補記していきたい。ですね。