紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


夜になったら寝るんです

 

soulkitchen.hatenablog.com

 

昨日記事に書いた本を読み終えて、最後の方は筆者の昔のことの話とかになっていて、おそらく主題っぽい「雑貨化する社会」のことはあんまり書いてなくて、わたしのすきなブログみたいで、身体、みたいなことを思った。なんというか、筆者の身体をとおして感じたことが書かれているような。そこを証拠づけるためのノスタルジック話というか。「雑貨化社会」は筆者の妄想みたいなところもあるんだけど、その感覚はわかるし、とても面白い切り取り方だ。それで小商いがどうのみたいな話になるかと思えばならず、それに対抗するには(対抗したいのかもあやふやだけど、でもこのまま世界が雑貨化するのを指をくわえてみていていいのだろうか?)、身体、ひとりひとりが身体をあつかっていなければならないのかしらとか思う。

おもしろい本の話はすぐにしてしまうので、こうしてブログにも書いてみるし、同居人にも少し話してみて(口に出すとわたしのまとめ力のひどさ、伝え方の下手さを突きつけられて驚きますね)、同居人の予想は「アップル(製品)は雑貨にはならなそう」でした。人によってはデバイスが雑貨であるという感覚を持っていたり、持つ世代が育ってきている気がしているのだけど。それでも、アップルが雑貨になるのは最後の最後かもしれません。

知人の知人くらいの人で、今は親交もない人が本を出していることに気づいて、ヒエーと思って検索したりする。それは上述の本とは打って変わって、この世界のこと、社会のこと、ビジネスのことを立て板に水でわかりやすーく解説したものっぽい。実際に読んでいないのでなんともいえないけれど、おそらくそうなんだろう。そうでないとしても、そうなりたい本なんだろうなと感じた。

うまくいえないけれど、その人の人となりを一応は知っているわけで、社会に組み込まれにいってる、そっち側に行ってしまったんだなとか思ってしまう。インタビュー載ってる相手も肩書がすごいし、サイトの下部に連ねられたるビジネスパートナー(?)たち。批判したいわけではないのだけど、批判したいのかもしれないけれど、うーん、乗っかってるね、「ライフスタイル」。そんなの他人がどうこういうあれではけっしてないけれどいやはや。それでそういう「実績」があればすべてが丸まって、自慢の一族みたいな話になるんだろうなみたいな、変な感じで社会の仕組みに合点。あーどうでもよいことを知ってしまった日でしたね。