紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


(接近しすぎたくらいで)言葉は意味をなくして

たまにやってしまう休みがまったくないスケジューリングがまたあらわれて、つまり休日も予定を入れてしまって休息がとれなくてへとへとになるアレだけど、ともかく先週末に畑をやってる知人のところをおとずれて少し手伝ったらお土産に葉物野菜を山ほどもらってほくほくだったけれど(抱えて帰る三十分!)––朝は鬱々としていて、あーやっぱり行きたくないなー休みたいなーとか考えていて、遠回りした道には植物が色濃くいて、ひざしも強かったから日陰を選んで歩く、午前中からBBQをする人々、ざわめき、ただ跳ねる子どもたち、犬、休日の公園にはなんていうか、レジャーがぜんぶつまっていたのだけど––畑ではたらく人たちのわきでスコップを借りて雑草を土ごと掘り返して滅する滅する滅する、ひたすら。完全に本筋ではないけれど畑を善き状態にするために、というのは建前かもしれないが、はたらく。土のにおい、水気、のちの肌のざらざら、帰りにはすっきりとした気持ちがあって、それはよい休日のつかいかたであったと思う。

疲れた現代人が畑をやるとリラックス効果がもたらされるという研究もあるんぜよなど言われて、そういえばわたしの庭ことベランダー、パクチーとシソがにょきにょきにょきにょき。そういえば先日NHKの園芸番組で杉浦なにがし氏がパクチーを植えているところをみたけれど、すこし間をおいての「いやいや大好物なんですパクチー!」って言ってたの本当かなとか思いながら、でもパクチー、おそらくこれから花をつけまくってすぐに時期が終わるよなぁとか思いつつ、わたしのパクチーも花をつけ、花もパクチーの匂いがするんだけど花がしぼんで自身を散らした後ろにぽこと小さな球ができ、これがパクチーの種。コリアンダーシード! 花の数だけ種ができると考えてよさそうなのを、さすがにと思いベランダからつまんできて選る夜のキッチン。花は可憐だが、香りはパクチーパクチーの花束ぷぷぷとか思いながら小さな瓶に活ける。葉はつまんで夕食に。種はひとつ容器にいれておく、、つかれているのだけどめちゃめちゃ楽しいと思ったので毎日定時に帰りたいです、マル。

職場はほんとうに千差万別でくらべてもしょうがないのだけど、渡り歩いてみると見えてくる部分もあって、あの職場の長所短所、この職場の長所短所などいろいろ考えて、どちらがすぐれているとは言わないけれど、わたしの心の安寧においてはどうのというのはまた別だてであるし、なんかでも、前の場所の方が、なんというか"物語"だったなぁという気がした。何度もいうが、いい悪いではない。物語でない職場でも日々いろいろなことが起こるのだけど、いろいろなことが見過ごされて流れていく。そういう安心もあるのだなぁと思いながら、ここではぐっと歳をとってしまう予感がした。キャー。