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紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


ひとつの場面

わたしにそんな綺麗な日々が遺されているわけはなく、でも空気とか精神みたいなものが静かでぴんとしているのは素敵だ。人に生活にもみくちゃにされるのが人生だとか思ってもみたけれど(現在も思ってはいるけれど)、疲れるのはあんまり好きじゃなかった。

 

十年くらいつきあいのある友人と年に一度くらい会うの、たぶん本当はこの会の数度前には訣別をしていて、もうこれは惰性と思った。思ってしまった。惰性なんて悲しい怠惰な言葉をつかわずになんとかできないか考えてみたけど今のところちょっと難しいみたい。かれはまだ悲しみにひたっている。

 

どうしようもないなと思ってしまって(ごめんね)、わたしは叱咤激励するわけでもなくぼんやりとああだねこうだねと話をきいてあげて、でも心の中では訣別をしている。それでも友人でやっぱり年に一度くらいなら話をきいてあげてもいいとか思っている。わたしから話すことがほとんどないの、そういえば昔からかもしれないね。

 

ぱっと見たらわたしは親切な人で、でも本当は見限っていて、かれのばかにする世間の人の尺度でかれを計っていて二度目のごめんね。だれでも特別な個人、ってわたしはよく考えるけど、それとは意味の違うトクベツを好む人よ、あなたは(そしてわたしも)トクベツではないんだよ。

 

退屈な疲れの中でカイロスの時間というのを思い出して、ああこの人は過去に生きているんだとわかってスタートラインを引き直す。こんなに強そうなのに疲れきっている。そうこうしている間に周囲が自分に追いつき、もしかしたら追い越されるかもしれなくて焦ってもいる。でも自分は過去を、いなくなってしまった彼女のことを考えている。可哀想だなと思ったけどやっぱり言わず、この人の思い出の時間は長そうで、もしかしたら一生涯そうなのかもしれない。可哀想可哀想、でも心のどこかではばかにしてて、でも友達、倦んでいるのに友達、それでいいのかしらと思ったり、でもやっぱり年一会うくらいの友達でいることはできる。それしかできない。