紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


毎日

わははこんなにスターを(つけている)。またその一方でスターをつけられて甘やかされていると感じる。「毎日何かをする」っていうのがあって、できることなら毎日書きたいのだけど、ブログ。でもそのうちに「毎日」だけが目標として残ってて何にもない日になにかをしぼりだしていると自分がカラカラしてきて嫌になってしまうというのがあり、たぶんこの場合の「毎日」はその中で自動化された思考とか技術とかとにかく自分の意識の外で起こることに期待しよう、みたいな部分があるのだろう。自分の意識の外に期待していないか、それともまだ意識の辺縁でのたうち回っているのかもしれない。「特になし」と書くのもひとつの手なんだろうけど、特にないことないだろう、と思ってしまう、少なくとも、わたし。一応2~3日にひとつは書こうと自分に課してはいる。ゆるめ。が、ともかく時間のない日はかけないし。どんどん夜更かしのできない身体になってきている。

しゃべるのが苦手ということに気がついて、それはもしかしたら自分との会話をしすぎて、他者に言葉が伝わらないのに嫌気がさしていたり、あとでやりとりを思い出して、自分の不甲斐なさそっけなさに愕然とするのだった。そしてできるだけ人と話さないようにしたいと思う、、endless。

ぺこさんのブログを読んで、しあわせな人だと思って(ぁと変な小文字がなくて思ったょり読みゃすぃですね)、わたしはそれにいつでもふれられると思って置いてきて(あるいは忘れてきて)しまったものがあると思った。それはなんだったっけ。どこにしまったのだったっけ。瞬間瞬間にひと工夫すること、感動すること、ざっくりいえばそんな感じのもの。無くしたなら無くしたなりにそれを楽しもうと考えるのだけど、無いものを悔いることもしてしまうよ。

社会のすべてが工場に見えてきてしまったらまずいのでは、と思った。でも今そんな感じ。荒んでいる。が、思考は進む。