紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


円盤を待っている

少しいやかなり癖のあるライブに連れ立って行って、わたしは楽しいし興味深いのんだけど、ハテこの人はどうなのかと顔色をうかがってしまう。わたしとあなたはべつの人間だから、おんなじ気持ちになるとはかぎらないくて、でもそれと同時に自分が楽しいとき、無条件に相手も楽しいと確信できないのは弱点のようにも思える。
楽しい曲がかかって色の光をうつした横顔はみんな笑っていた。音楽が人を幸せにする瞬間だったのかもしれない。いま、この瞬間、オレたちは一体となったッ!!! 同じ気持ちなんだぜーッ!!! っていうの、思い込みという語で片づけないで、その機能とか実際はどうなんだろうとか考えたりする。それはいくらかの実感をともなってわれわれを高揚させる。ではないか。
悲しみはどこまでも個人的なものと思うのだけど、喜びはどうだろう。たぶん実際はそれも個人的なものなのだろうけど、根っこではなく葉の方でくっついてたりはしないだろうか。
わたしたちはなにかを待っている。奇蹟を、運命を。やってくるなにかを待っている。外側からくるものは全部やってくるものだし、内側からやってくるものもあるし、なんか、全部やってくるものなのかもと思ったり。受動的存在としての人間。そういえば、うまれるときは胎内からうまれてしかし最後はどこに行くでもなし、世界に放り出されたまんま、いずれはどこかに還るのかもしれないけれど、それもよっぽど孤独ですよね。