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紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


大道芸人に冷え症はいない

雨が降りました。暗い明け方に目が醒めた時はまだ雨の音がしていて夜と雨に二重に閉じ込められたかん、もう一度起きたときには明るくなっていた。午前中の公園は曇り空にところどころの紅葉が湿気をすって輪郭をはっきりとさせていた。カメラを忘れてきたことに気づいた。広場で大道芸をやっている人たちがいて、不思議な音楽とピエロみたいにメイクをしたもじゃもじゃ頭がいて、その後ろで頭に花を挿して踊っている人がいた。ピエロはやせ形でぴったりしたズボンが遠目にも細く見えた。音楽家は動いている部分は暖かいのだろうけど、末端は冷えないのだろうか。ズボンに大きく裂け目がはいっていて膝小僧が見えた。先日のドラマで新垣結衣がびりびりのデニムを履いていたのを思い出した。でもわたしも十年前はそんなデニムを履いていた。時代だし、年齢もあった。ともかくこの寒さにむき出しの膝で挑むのは自殺行為だ。そしてそして花ダンサーは裸足であった。肌色の足がぬかるんだ地面をしっかりとらえ、蹴り上げ、ねじれた。心配になって足元をずっと見つめてみたが、何度見ても裸足だった。一部に茶色い模様がみえたが、おそらく泥だった。いつかショーは終わり、音楽家の帽子を取り上げたダンサーがおひねりをねだった。たぶんこの人たちは新陳代謝がよく、末端まで血流が行きわたっているのだと唱えながら硬貨をいれた。帽子をとられた音楽家の頭は綺麗な二色に染められていた。

とてつもない経験があり、もしくは経験をして、それはたいてい”不幸”に分類されることが多いのだけど、その経験を知っている人と知らない人、どちらがよいか、というようなことを考える。無論考えても意味はないということはわかりながら。その経験はやっぱりかけがえのないもので、思考を深め、きいた人の心を打ち、その人を成長させるかもしれない。しかし一般的には"不幸"なことであり、経験していない人が「自分も経験したかった」と気軽にいえるものではない(し、みずから望んでその状況に至れないかもしれない)。「経験」と「不幸でない」がトレードオフになっているのだろうか。そんなの意味はなく、人生はとことん公平ではないのだ、というようなことを思って終わりにする。