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紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


主観をさがせ

学校までの道のりを思い出しながら眠りへの道も歩こうとかこんな言い方はしていないけど、寝る前の遊びとして、目をつぶって思い出す。居間から土間に降り、土間には自転車がある、左手の玄関をあけて坂をのぼる。道は左右に分かれていて、正面にも細い坂道がある。学校に行くときは左へ、家を何軒か通り過ぎ、左側は果樹園、蔵のある家をすぎて(ここの犬は狂犬)右側にも林檎の畑があらわれてカーブミラーが集合場所。近所の何人かで一緒に行かなくてはいけない。隣の家を突っ切れば全力疾走で一分なのに、遠回りして他の人と一緒に十分もかかるのが不満だった。

ゆるい坂をくだると右手は葡萄を育てていて区画全体に青い網がかかっている。暖簾をくぐるようにして入口を入るのはなかなか難しく数度しか足を踏み入れたことはない。その向こうは田圃が学校の長さと同じだけ続いている。でもそっちにはいかないで、手前を左折、学校の裏側を歩く。軽トラがぎりぎり通れるかの道で、すぐわきを用水が流れている。車がくると小学生は用水を飛び越え草の上を歩く。春には蓮華が咲く土地は五月か六月には大きい車で掘り返される。蓮華は土地を休ませるために咲かせているときいた。季節があえば草原にはカエルがいて、緑色の小さなアマガエルはさわれたから両手をにぎって捕まえられるだけ捕まえた。手の中の暗闇をもぞもぞと這う蛙の手。いや足なのか。学校の敷地に入る前には放してしまって、カエルたちは道路や畑、用水の中へ散っていった。第一体育館の裏の柵はある場所だけ抜けていて、子どもたちはよくそこを通った。近道でもないのに。夕方以外は日の当たらない場所でいつもうすら寒かった。それに比べたら第二体育館は光もよく入る明るい体育館だった。土曜日か日曜日の夕方の剣道教室に開放されていて、よく覗きにいった。同じクラスのIが通っていた。Iの父親も剣道をしていて、もしかしたら教える側だったのかもしれないけど、一緒に来ていた。役所につとめていて、ずっと後にずっと偉くなってしまった。体育館の手前にプールがあって、授業以外では施錠されていたけれど、扉代わりの鉄の柵は乗り越えられる高さで、なんなら膝くらいの高さで横に棒が渡っていて、みんなそこに足をかけて侵入できた。さすがに泳がなかったけれど、プールサイドまでは簡単に行けた。夜にプールの脇を歩いていると水音がして怖かったのをおぼえている。今思えば誰かが忍び込んで泳いでいたのだが。

そんなことを考えながら(なんならまだまだあるのだけど)、想像する図がどうも主観ではないということに気がついて、つまりストリートビューの中を歩いているような、画面の向こう側から順路を眺めているような感じがして、過去を俯瞰する感じがおそろしく、純粋に自分の身体がそこにあったことを思い出そうときりきりと思い出の自分を歩かせる。動かしなれていないのでぎこちなく、気づけばすぐに視点が戻りそうになるのを集中してやっていたら逆に目がさめてしまってこの試みは失敗であった。わたしの視点でしかものを見たことがないのに、自分を対象化する視点があって、なんならそれに慣れているということがすごく落ち着かないのであった。

 

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同居人は通学路じゃない道を想像してた(やり直し)