紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


編み物とテクスト

編み物をはじめたくなった。突然。編み針はもちろんないから買いに行って、本当に思いつきだったから、編み物ってこんなに道具が必要なのかと驚く。鍵針と棒針がある。輪針というのもある。編み物ではないけど刺繡針というのもあった。ほかに編み物専用の針という編み針ではないけど普通の針より大きい針もある。ハサミとか定規は裁縫用と兼用できるけど専用のものも売っている。そのほか裁縫では見かけない不思議な器具がちらほらと。それらは上級者向けなのかと思えば「とりあえず持っておこう」の一覧に入っている。入口からめちゃくちゃハードル高いぞ編み物は。

しかし慣れてしまえば当座の編み針と毛糸だけ手もとにあればあとはただただ編むだけでああこれは日本の大学方式とか思いながら(本当は今思ったんだけど)、テレビを観ながらがんがん編むことができる。裁縫は手もとをみていないといけないからこうはいかない。片づけるときも脇に置いておくだけという気軽さ。という不思議な世界に。足を。

一目一目編んでいって生地をつくる、模様を編む、色を変えてみる、それがいつかかたちになる、というのが文章をまったく同じと思ってからさらに愛着がわき、にやにやしながら生地を展ばしている。それで、これが裁縫でなく編み物に惹かれた理由だと決めつけて、裁縫はすでにある布地を裁って縫い合わせる。それも面白いのだけど、どうやらわたしは布地から完成品を想像するのがまったく苦手で、適切な布も選べないし、実際につくってみないとどうなるかわからない。それにくらべたら一からつくっていくほうが気楽で性に合っている。編み方の説明をみてもなにがどうなってるかわからないのだけど、まだサイズが小さいので手に負える感じ。がしている。

それはまあ好みみたいなものだけど、文章に似ているというのがしっくりきているところ。裁縫みたいに材料をそろえて縫い合わせていくタイプの文章もあろうなぁとは思うので、それは得手不得手だし。まあ比喩の世界だし。同じ理由でもしかしたら織物も好きかもしれないのだけど、それはさすがに機織りの機械はございませんので考えるだけにして、いやあしかしテクストってよくいったものだよなぁとか思いながら。今日も寝るまで編んだりする。