紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


2016/09/17

気づいたら各駅停車に乗っていて集合には少し遅れた。それでも出発には余裕があったから皆はそこで談笑していて問題はなかった。そのときの、たとえば朝方の些少な状況がしばらく続くことを疑えない。つまり、起きたときの気温を曇り空を(実際は日がまだ出ていないだけなのに)、その日はそのまま、はたまた数日間でも続くのではないかという誤った確信。そのために、長袖を着て、ねんのための着替えも荷物に入れて、上着も、折りたたみの傘も持って、、その結果大荷物で着いた先でお日さまが出てきたりして、あーやんなっちゃう天気予報。
柴犬の子犬、濃いめの茶色で鼻先にかけてゆるやかに黒くなっている。顔は人間の子どもにも似ていたし、お腹は内側からはっていてピンク色が透けてみえた。そいつがクゥクゥと蒲団の上で眠りだしたので、寒いよね何かかけてやろうアアまぁるくなっちゃってとか思いながら薄がけを取ってきて子犬のうえにそっとかけ、そのままわたしの蒲団もかけて、、というのが夢で目をあけると隣で同居人が小さな毛布にくるまって、胎児のように屈葬のように小さく毛布のサイズになっていたのでそこでわたしの犬に大きな蒲団をかけてやった。

自分が(もしくは〇〇が)いなくなることを考えている。希死念慮というわけではなく、単純に自分の(もしくは他の)存在が影響がなかったらこの人は(この場面は)どうなったかと考える。神の視点でも純粋な観察者でもいいが、そんなこと不可能で、思考の実験としても無意味ではないか。疑問の生じ得ないほどの基礎の基礎の関係をさがして、同時にうとましく思う。