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紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


その二項対立、嘘じゃない?

都会は洗練されていて、田舎は保守的だっていうの、わりと信じられているけど本当にそうなんだろうか。都会はすぐれていて、田舎は野蛮だという植民地主義みたいな思想の延長にあるんじゃないんだろうか(物量の多寡とか啓蒙的なやつ、言わないけどみんなの根底にあるとわたしは思っている(ほんとはわたしだけが持っているのかもしれない))。実家が山の方なので、帰るたびにそういうこと、思わなくはないけれど、都会の人だってたいがい野蛮じゃんというようなこと、思ったりする。都会の人の半数以上は地方出身者なのだとしたら、それはそうなのかも。人間の質的には本当は同じなのかもしれない。

というのは、恩師、これは都会の人なのだけど、文化を研究していて皮肉屋で時事ネタもちゃんとキャッチしていて、知己に富んだコメントをする、という印象のあった人、年に数度会うのやつに行ってきて、フンフンホンホンと話をきいて、やー切れ味変わらず、それにしたってだいぶ丸くなっていらっしゃる、なんて思っていたのだけど、それが高畑某氏の件にふれて、小粋なギャグをふるまって、ささやかな笑いを、、という場面があったのだけど、わたしはそれを笑っていいのか、というか言っていいのかという気持ちになった。そんな細かいことを言っていては息苦しい社会になるのだとか、ブラックユーモアなのだから解せとか、そういう話なんであろうか。とにかくわたしはぞっとして、それからもやもやしている。

わたしのみているインターネットの人々はこんなこと言わない、もしくはすぐにだれかが問題提起して喧々諤々するとか思ってしまい、顔も見たことのない人たちと比べている自分もなんだかなと思ったが、ちゃんと考えたりとか、教育の延長線上にいるとわたしが感じる人が少ないだけなのかもしれない。それにインターネットにも野蛮な人はたくさんいる。

高等教育の進学率も上がっているし(これはやっぱり田舎は低いのだけど)、全体の水準はあがっているはずなのに、洗練された人にはインターネットでしか会えないので、まぼろしみたいなものなのかもしれない。同居人はわりと洗練されている方というか、インターネットに近い人なので動向をおさえているだけかもしれないけれど、話していてストレスが少ない。いくら洗練されていても、生身の人間は野蛮だというだけの話かもしれないし、こういっているわたしも夜中に台所で生肉を齧っているかもしれない。心情的にはインターネッツ、頭でっかちだから身体性を重視したいと思っているのだけど、野蛮なふるまいにばかり出会ってしまうとくじけてひきこもってしまいそう。