紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


イマジナリーパートナー

というくくりがあるということを知って、今つくった言葉なんですが、想像上の人物、友人、恋人、家族の話をおおっぴらに、それこそインターネッツなんかでする、みたいなことなんですけど。実際に関係のある人ならまだしも、ウェッブの向こう側にいる人がそんなことを言いはじめたところで真偽をたしかめる術はほぼないわけで、わたしなんぞはヒエーそんなことあるのね楽しい日常ねとか思ってしまうのだけど(ヒエーで出た絵文字(環境依存)があったのでお伝えしておきますね→😱)、どうもそんな人(相手)はいないらしい、事実と違うらしいということが漏れてきて、そのためになんや怒られる、というところまででこのタームはワンセットです。補足すると、架空のキャラクターと自分が対話するという"設定"であれば問題なくて、虚偽である、嘘をついたということが大変に怒られるポイントのようなのです。というようなことを書きながら、なにも怒らなくてもと思うし、もし怒るとしたら、その"お話"をまるっと信じていた人だけが「だまされた!」と憤れるのではないだろうか。「どうせ嘘だ」と近づいて「やっぱり嘘だった―!」という人って騙されてなくない?????

このへんは個人の感覚でもあるし、インターネットのとらえ方ともかかわってくるところで、つまり怒ってる人の目にはインターネットは現実空間の延長とか拡張と映っていて、もうひとつの世界と考えている人とはそもそも相容れないのだろうとかを考える。両者が矛盾しないインターネッツもあるだろうという気はするのだけど。

それで、怒る人たちはイマジナリーな登場人物たち(もしかしたら実在してるのかもしれないぞ)がイマジナリーであることを糾弾するのだけど、それを記述している人の存在はうたがわないの、不思議な話と思う。つまり、わたしであれば同居人のくま氏はわたしの想像の産物で、身長185cmでエグザイルのATSUSHI似でギターとベースとヴォーカルができて(ドラム募集中)ウィンドサーフィンとスカイダイビングと編み物が趣味のフランス人の男性はいないのであーるー。特技は大豆を栽培すること!!! そうだそうだ話がそれている。で、そんな探偵業の同居人はいないんだけど、わたし(紙)の存在は確固としている。から拳をぐっと握って殴りかかってくるのだ。紙に。わたしの存在はうたがってくれないの? 本当はA3かもしれなくない? 和紙かもしれなくない?!?!?!?!(水に弱いぞ!!!)

みたいなことを書いていたらよくわからなくなってきたので、これから嘘を書きます。今まで同居人をくまと表現していましたが、本当はヒグマです。本当は同居して三十年が経っていて、わたしは公務員で堀北真希なのでお腹に福山雅治の子どもがいます。趣味は川の流れを変えることで、学生の頃に県代表として全国大会まで行っています(二回戦負け)。あーなんかでも、パン焼きましたっていう人が焼いてなかったらがっかりするから、自分が焼いたと表明するときは画像をつけようと思いました(パン焼いたつぶやきをfavしてしまうわたしです(嬉しくなるのでfavしています))。おわり。