紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


よくない教育(者)

さいきん、「仮面の勇者」というゲームをやっている。勇者の血筋のアレックスという少年がいて、勇者の血筋なので勇者にならないといけないのだけど、過去のいろいろでひきこもりがちである、のを宥めてすかす優しい指南役となって、勇者になるための儀式をクリアさせるのだー! という内容。まだまだ途中なので、ここからどんでん返しがあるのかもしれないけれど。

 

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それで、わたし(指南役)とアレックスの関係はすこぶる問題ないのだけど、時たまやってくるアレックスの父親が悪手としか思えない声かけをしてアレックスを落ち込ませる。父親は悪人でもないし悪気があるわけではない。自身の考え方にそって、こうしたら息子はよくなると思って発言をする(ゲームのキャラクターになにを言っても、という話ではあるけれど)。それが、頭ごなしに叱責するとか父親の考え方を押しつけるとかそういう感じで、現代に生きるこちらとしてはあり得なすぎるのだ。それでアレックスはひきこもってしまうので、ひっぱり出すためのクエストがある。ストーリー(というかアレックスの変化、成長とか)が進むためには必要なのだけど。

考えてみたところ、そういうキャラクターはいくらでもあって、『七色いんこ』と『ハイスコアガール』の家庭教師の女性がとりあえず思い浮かんだけど(このふたつは悪気があるような気もするが)、でもなんだかそういうのはステレオタイプの人物像という感じで物語的必然性として登場しているのだろうと想像はできるのだけど、そこまでして、つまり現行の最先端の教育論(人間論等? エトセトラエトセトラ)を踏み台にしてまで表現したいもの(しなくてはいけないもの)ってなんだろう、という気がした(勿論これらは単純化されている場合で、主題としてえがかれる場合にはより深く重要な意味を持つのかもしれないけれど)。