紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


結果としての無意味

今日は昨日に引き続き、起きた瞬間に一日暑くなる予感をはらんだ熱が、予感もなにもただもう暑いだけといおうか(じりじり)。暑いのは苦手であるが、夏、のあざやかさいさぎよさ何もかもを塗りわけるぱっきりした太陽の光に容赦ない熱、笑っちゃうよね笑わせにきてるよね、夏の自立する意思に敬意、そういう感じで夏は好きだげらげら。

絵に描いた夏が好きというか、自分が汗をかくのは嫌だ日焼けをするのも嫌だやたらと疲れるしどこもかしこもクーラーききすぎだし、とか身体をとおした不快感に顔を顰めるけれど(そうすると眉間にしわのまま日焼けますからね)、暑さの中半そで短パンの小僧たちが真っ赤な顔して汗を滲ませながら自転車こいでるのと行き違ったりして、そういうのは単純に好もしく、ガンバレと謎のエールをあなたに。若い女子がオイオイーってくらいの露出ファッションしてるのも、つば広帽子にリネンかなんかの長袖カーディガンのご老人も、外で会う人たちは夏に対して自分なりの抵抗を、抵抗というか意思表明をしているのがよい。夏に前向きだ。とはいえ単純に身体的にきついので大体は室内で体力温存しているよ。やっぱり夏は苦手ということになるのだな。

少し前から腰の右側が痛くて湿布をはっている。風呂上りなどとくに痛んで、イタタタタのわたしは蒲団の海にダイブして退化、これは陰謀である。こうなった心当たりはあるもののさすがに長引きすぎると駅の向こうの整形外科まで行き、本当は歩いていきたかったが、この暑さであるし痛む腰のまま二十分歩きとおす自信がなかったので自転車を出した。段差のあるたび腰がまたイタタ。

診察のちレントゲンのちおじいさんの医師は「骨に異常はないから筋肉痛だろうね」と言い、心当たりはあるからね「やっぱり急に動かすとなるんですかね」に対して「腰はね、動かさなくてもなるんですよ」とのことであった。動こうが動かまいが筋肉痛。愉快だ。「湿布をはるとき、バランスのために左にもはっていいですか?」「痛いところだけにおはりなさい」「右をかばって左も痛くなるかもしれませんか?」「左右におはりなさい」。愉快だった。

腰の痛みにおびえてはいたが、ただの筋肉痛とわかれば怖いものなしだ。こちとらレントゲンまでとられてるんだぜ! 無・意・味!! 結果としてー!! 凛として時雨ー!! 結果として無意味ー!!!