紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


文字のコーヒー

むかし使っていたメールサーヴィスがだいぶ前に終了して、もろもろのデータがインターネットのどこぞにさらさらと飲み込まれていったのだけど、昔はgmailなんて便利なものはなかったからyahooとかhotmailとかそことかでフリーメールをとったらばだいじにだいじに使っていたわけです。大事にしすぎて就職活動関係やら転職活動関係やらお店からのダイレクトメールやらが届きすぎるアドレスとなってしまって、量としてしかみられないメールはむしろスパムじゃないかとかでついには全然のぞかなくなってしまいましたが。でも往時はそのアドレスで大事なやりとりとかしていたわけです。それこそ熱い熱い文章なんかも。それらが粉々に砕かれてさらさらと砂時計の中みたいに落ちていくのを思ってみて、おおう、それならばそのコナコナにはふれてみたい。色とかあるのだろうか。匂いはどうだろうか。熱をもっているだろうか。珈琲のようだったらお湯で抽出してみるのもいいんでないか、とか。文字に気持ちがやどる、みたいなことを久しぶりに夢想しながらグウグウ寝ているのだった。

本当にたいせつな文章はサルヴェージしてevernoteに写しているからまあ読めるのだけど、読んだところでアアアアアみたいな感じなので、思い出のままにしておくのがいいのかもしれないね。evernoteがサーヴィス終了とかなったらまた同じことをするのかしらん。

現実と文字(文章)を対峙させるのに、一文字ずつていねいに対応していくのは困難で、それは現実の方が厖大だから。すると文章の方ではなにやらテクニックやらレトリックやら小細工を駆使していかないといけないのサ、なども。すると詩の言葉(短歌もか)はかなり柔軟よね、みたいなことを考えながらやはりグウグウする。あまりに風邪が治らないのでいい加減あきられているところだ(ゴホゴホ)。