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紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


七福神

友人と散歩もかねて七福神めぐりをすることになった。初詣である。しかしまあ七福神なんてめでたいものの代表格であるわけだけど、よく考えてみたら軍人と女性以外は老人がふたりと太った男が三名というサークル内書き分けがなされていない集団であったのだった。そんな船がこの乱世でやっていけるのか不安はあるけれどともかく。

それで、いくつもお寺や神社に行くわけで、さらに七福神以外にも主に祀ってあるご神体やらご本尊やらその他の社などもあるわけで、何度賽銭を投げ、何度お参りをしたことか。賽銭は早々に小銭が尽きたためエア投擲でゆるしてもらうことにしたのだけれど、お願い、というのは賽銭も払わずに不遜かと思いご挨拶という感じを何度もする。のでそのうちに定型文みたいなものができあがる。

 

明けましておめでとうございます。(住所)の(名前)です。(ヒナ氏)もいます。本年も一同健康で楽しくいられますように。仕事をやめたいですが、それは自分でなんとかしますから、健康であることをひとつお願いします。できたら勉学方面を応援してくださると嬉しいです。そちらもややこしいことあると思いますが、すこやかにお過ごしください。 

 

定型文をつかうことにより、時間の短縮になるかといえばそうでもなくて、逆に長々と手を合わせているのはわたしくらいであった。それにしてもそちらってどこなのか。天界? というようなことを考えつつもはじめたことをやめられないのであった。

よくよく考えてみると、ここ数年は毎度毎度同じことを思っている。つまり、皆様の健康。そのくらいしかお願いしたいことがないのは幸せなことでもある。健康というのは欲張らず丁度いい願いだ。とかいいながら毎年勉学はつけたしてしまう。

 

手を合わせながら、それでもわたしも一応は科学的人間であるから、神頼みを信じているわけではないのだけど、上記のことをまあまあ真剣につぶやいて、すると誰にいうでもない願いともいえないような言葉を前方に向かって一直線に投げかけ、対峙しているというような、静かで真摯な気持ちになるのであった。ブログを書いているときとまるで違う敬虔な気持ちである。それはとても素直で、だからこそ誰にも言えないようなものであった。自分は科学的人間とか思いながらも、神様仏様の存在は必要であるよなと頭の片隅で思ったのであった。

 

おみくじは末吉(毘沙門天のところ)で、ちょっと悔しかったのでもう一度ひいたら小吉(弁財天のところ)でした。今年はこんな感じなんだと思うことにしました。両者とも大意としては「焦るな」でした。ちなみに昨年は「嫉妬するな」でした。以上です。