紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


2015運転納め

これは2015年末のある夜中のことである。私は○○県の真っ暗な道路を運転していた。○○県は雪国と言われているが、暖冬のためか今は雪はない。山の方の日陰に薄汚れた白がわずかに残っているだけだった。外は真っ直ぐに落ちていくような気温であったが、よく晴れており雲の気配もない。星がよく見えた。

実家の脇から伸びる新道には街灯がなく、ヘッドライトだけが頼りだったが、それも覚束なくて時おりハイビームにすると、より遠い道路と周囲の木々が白く浮かび上がった。誰もいない。獣の目が光るようなのは畑の中の小屋のガラスだ。バックミラーに何もうつらず慌ててみたが、暗くてなにも見えないだけだった。新道と呼ばれるこの道路もかれこれ十年前からそこにあり、地域地主住民の反対を少しずつかき分けて延伸されていた。砂場遊びの泥の川をさかのぼって掘るみたいに。

時刻は24時をまわり、もはや次の刻を過ぎかかっていた。ラジオは怖いのでオーディオに切り替える。松任ユーミン。小粋にロンドを歌ってくれている。母の趣味。嗚呼。嗚呼。妹から連絡があって、厚着をして外に出た。準備をしていればそこまでの冷えではない。しかし止まっていると自分が寒さと同化していなくなってしまいそうな気配がある。夜はわれわれの味方ではないのであった。身体を動かし母親の軽自動車に乗り込む。少し前(といっても年単位)に買い替えをしていて、エンジンをかけるにも鍵を差し込むところがない。シフトレバーはかろうじて座席の左側にある。ひとつひとつ確かめながら。職場の車を運転することもあるが、それでも年に数度、それも少ない方の数度、しか運転をしない。そんな人間によくも迎えを頼むものだと思いながら、フロントガラスを覆う真っ白。氷、おそらく氷、水の結晶、そういえば水は氷る、雪はなくともこんなことがと思いながら、窓ガラスをあっためたり、ワイパーを必死に動かしたりする。年に数度のうちの一度がこんなこととは。

ようやく明るいのは隣の市との境にある橋まで来たときだった。だれもいない赤信号を律儀に待って、橋を渡り終えるあたりで堤防を右から左へあわてて横切る乗用車がやけに生き物らしかった。ふたつめの信号を右に曲がる。待ち合わせ場所を確認したときに、母親がやたらと奨めてきたルートだ。目的地には家の近くの長い橋を渡って一本で着くというのに、左折で入るために遠大な回り道をさせたがった母親。こっちの方が近いのにというと、酔ってもいないのに機嫌をそこねたような顔をする。勘弁してくれとか思いながら、折れるかたちでしたがったのであった。

さすがは明るい道というか。そこからは何台かの車が前後しすれ違うこともあった。生きた人がいるというのはとても安心のできることである。しかし後方にタクシーがついたときは少しあせる。メーターは60km/hをさしてはいたが距離がぐんぐん詰まる。夜中のタクシー! 速度を上げるかにやにやしながら現状維持が迷っているうちに信号で別れた。独りごとをいいながら運転しているのは滑稽だ。目的地で妹をひろい、凍えながら妹が乗ってくればあとは楽しいドライブ。しかし酔っ払いのいうことは真に受けてはいけないのだった。