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紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


現実をつかめ

ここのところ調子が悪かったのがだんだん元気になってきている。落ち込むとどういう状態になるのか、どういう過程を経て回復するのか、ブログを書いているおかげでわかるようになった。そういうときの紙の日記は抜けがちになるが、意外なことにブログには落ち込んでいることも書いていたりする。自分観察日記も続けてみるものだ。落ち込み迷うこともたいせつな時期と思える、が、つらいはつらいので、ずっと元気な状態でいたいとも思う。とはいえ、いつでもー? \↑アゲアゲー↑/ ってならないのが自分のいいところだから、落ち込むことも楽しんでいきたい。

 

ダウナーなときの着想ではあるが、自分がくるうことは怖くないが、くるっていると他者から思われることは怖い、とか思った。他者のまなざしは自分では計り知れないことで、対策は操作できる自分を縮こませることになりがちだ。でもたぶんそれは解決方法にはならない。陥穽だなと思う。よくなってるから。

 

今朝は起きたら晴れていて数日前の天気予報と違ったのでちょっとがっかりした。晴れていたら電車に乗って山の方に行こうとか思ってたのを雨だというから遅く起きてしまったのだった。まあしかし今日は久しぶりに同居人とそろって休みであったから、近所の珈琲屋にでも行こうと昨晩話しており、それに給料日前でお財布が心細かったから、まあいいかということだ。給料日後が気づくと給料日前になるという現象が不思議だとなかば本気で思っていて、何故そうなのかは知り尽くした上で不思議がることを面白がっている。わかってるのに不思議だ。

 

突然に、普段は意識していないことを思い出し、息苦しくなる。かれもかれも素晴らしい人であり、それはだいたいみんなが知っていて、そしてわたしはただの人間なのだった。ふなっしーの妻もこんな気持ちだった、という話を夏に書いた。あれをさらに書けるようにも思うが、必要なことは全部書いた気もするし、たぶん蛇足にしかならない。

ねじくれた思いは何もない野っ原でぐるぐると横転しているだけという気がした。広がりも深さもない。身体に枯れ草をまとわらせるだけ、だれにも見られない、猛禽がヒョロヒョロ飛びながらわたしを見とめるくらいだろう。

現実をつかめと声がして、それは社会みたいなものだ。ややこしいのは内面化された社会ということであって、それをわたしに囁いているのはわたしだ、というところまで知っている。感じとしては四面楚歌だ。前門の虎後門の狼。迷うことは嫌いでないが、そんなことをしている間にわたしの生物的時間というのは過ぎゆくということも頭をかすめる。死に向かって生きているのはわたしだってそうなのだった。しかし焦りは判断をあやまらせる。

たぶん。現実、はもうひとつあり(もしかしたらたくさんあるのかも)、急かされてありものの現実をつかまぬように、しなくてはならない。ということが、わかった。