紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


オチのない文章

最近、話の終わらせ方がよくわからない。終わらせ方とかいって、好きなときに好きなところで終わらせてよいのだろうけど、それもよくわからない。つまり、話(この場合は日記だが)は延々と続いていき、終わりにふさわしい箇所が思いつかない。

移動中に向かいのホームに特急電車が停まっているのを見る。有料で乗るやつ。そういえばこの駅で特急の通過待ちをするアナウンスがあった。しかしここは主要駅のひとつ隣の小さな駅で、あれここって特急停まるんだっけと思う。各駅の特急電車というようなことを考えて、この速くない感じ。だからこそ停まる駅までいってから乗り換えるのだし、特急も急行も快速も停まらない駅をかえりみずに走り去っていくのんは、きっぱりと潔いのだった。

大江健三郎の『個人的な体験』を読み終えた。最後の一めくり二めくりくらいでえーっえーーーっってなった。文庫版なので書いてから十何年も経った大江自身がおまけの文章を書いており、やはりその部分は当時から議論になっていたみたいだった。わたしは作品は作品として受け入れてしまうたちなので、大江はんがそう書いたならいいんじゃないどすえ~ってまあ思うんだけど(しかしこうして自分の違和感については書く)、この書いた本人もとまどってる感じに作品論とテクスト論のあわいを見たよね。作品のwikipediaみたらあらすじが事細かに全部載っていて、それこそ要約じゃんという感じに載っていて、でも本当にあらすじって全然小説じゃないよなぁというようなことを思ってここでおしまいにする。