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紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


中庸と中庸の間

今日もまた少し遠出をして、行きの電車で川上未映子のエッセイをちょうど読み終えた。帰りは持ってきていた村上春樹のエッセイにスイッチ。読み終わりそうな本があるときは二冊目を持っていくのが今回は上手くいった感じ。二冊目を持っていても結局読まなかったりするのだけど。今回は上手に着陸、上手に離陸できたのではないかい。

さてそれで前者のエッセイに、決まりを無視することができるようになる瞬間、というようなことが書いてあり、具体的には自動車のシートベルト、運転席も助手席だけでなく後部座席もしましょうねとなった少し後に、おとなしく従っていたのがもういいかとなってしまったというようなことであるのだけど、その「規則より自分をとるようになったポイント」について、結論はないままいつもの感じでのたりのたりと考えていた。

のを読んで、そしてまさに、ジャストナウ本日、そういえば駅までの歩行で、信号のない交差点にて教習車に順番を譲られたといったことがあり、こちらは歩くのも遅いし先に行ってくれと思っていたのがなかなか発車しない車(頭が頭痛的だわ)の運転席を見れば、若いいがぐり然のオニーサンが必死に目線を送っていたのだった。

それでそれは仮免練習中の身で、対向車自転車歩行者すべてにへりくだる心性はわかるし、それにくわえて隣に教官が乗ってるんだものね。怖いよね教官は。隣に規則(メタファだよ)が乗っていてさらに免許取得までの道のりを左右するんだから何が何でも優しい気持ちになる。教習中止に比べたらなんだってマシだ。

という一方で、横断歩道がなんじゃい赤信号がなんじゃいで駆け抜けていく真っ赤なポルシェもまあ見るわけで、この両者を隔てるもの、免許とか時間(慣れ)なんてものではなくて、規則と自分の間の等号というよりは不等号がどこかで向きを変えるんだろうなというようなことを思った次第。どちらがいいとか申しませんけど、やっぱ、その、自律の仕方は気になりますね。たいていの人はある程度の範囲を行ったり来たりしてるんでしょうけど。