紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


女優に手をにぎられる

久しぶりにいい天気みたいだった。洗濯をしたら数時間であらかた乾いてしまって感動する。久しくない久しくないと唱えながら。家のことを済ませてから、祖母宅へ母が来ているのに会いにいく。母は七年使っていた携帯電話が先週壊れたところで、修理できないかとお店の人を困らせて挙句、電話帳を見ることしかできない携帯をそのまま持ち帰ってきた。このままちょっとハイテク電話帳に使用料を払い続けるのかとわれわれをハラハラさせたのに、旅先でさらりと機種変更をしてしまった。「南口のモールにドコモショップがあるのよ」……。その黒いガラケーを触らせてもらいながら、『火花』を読んだことを伝えた。地元ではもう「文藝春秋」は売り切れているそうだ。

それから晩に友人と友人が出ている舞台を観にいく。母と別れて夕方と晩のつなぎ目の時刻に自転車に乗って、都会のシアターに行くの、逆流という感じがしてた。自転車に乗っているときは頭の中で過去が会話している感じになって、弁解を口に出してしまうことが多い。マスクの下でもごもご。誰もきいてくれないもごもご。

演劇は恋愛の話で、キャラクターも立っていたし、まとまっていてメデタシメデタシだったのだけど(笑いどころもたくさんあった)、作家の体験をストレートに描いてしまうの自然主義っぽくてニガテと思ったのと、ストーリーの中に「夢オチ」的装置が組み込まれてしまっているのが楽しさであるが枷にもなっていると思って、あんまり手ばなしで褒めたくなくなってしまった。それでも役者(人間)が演じるというところに救いがあり、華があり、友人はピリッと場面を引き締める存在感をはなっていた。

小さなハコだったから幕のあとに出演者がわらわら出てきて、客たちに話しかけていた。客はほとんど全員だれかの知り合いだった。友人もやってきてお礼を言った。かの女は何故かわたしの手をにぎり、その手はやけに温かった。