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紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


シャバへ

帰ってきた。標高1,000メートル(たぶん)から。すると下界はぬるく蒸し暑い。それでも八月は後半に突入しようとしている、わたしはもう九月十月のことを考えている。ので秋だ。気持ちは秋だ。そして年末だ。明けましておめでとう。ふとほぼ日手帳をみると、旧暦ではいまだ七月というのだからまいってしまうね。帰宅後はすべてが、わたしのすべてがいぶくさく(燻製のにおいだ)、洗濯機を二度まわす。しかしデジカメのストラップが香ばしいときはどうしたらいいんだろうか(ファブリーズ?)。

この数日は楽しかった(期間中に眠いながら携帯から投稿した記事ふたつが文章ぐちゃぐちゃで笑える)。子どもの自然はいい。「おれが校長先生だったら、休み時間を全部大休憩(20分)にして、校庭もめちゃくちゃ広くする」とか(かわいい)、「こいつエロいんだよ、風呂で『いま女子が入ってきたらどうしよう』とかモウソウしてたんだよ、エッロー」とか(かわいい)、『キリストの血はすべてを浄化する』という看板をみて「おれ、キリストの血がほしいなー」とか(何故)、意味の分からない世界、その想像世界が現実世界と肉薄し混同され、ときには逆転しかねない危うさ丈夫さが確固として佇立している感じ。が。もうほんとうに、わたしにはなくて、わたしだってかなり妄想家、いえ空想家? なのだけど、どう足掻いても勝てなくて、とりあえずその言葉と世界をきいて、ときには聞きすぎてふくらませすぎる(という遊び)日々だった。やはり子どもは不思議だ。

それでしかし、この瞬間(2015年8月のある期間)にこの人たちでいるということは、貴重で、もう一度やろうと言ったって、同じメンツにはならないし、よしんばそれが叶ったとしても一年後にはあなた方は成長している、わたしも少しは変わっているだろうという現実を前に、それがとても悔しく歯がゆい。というようなことは何度も思っていて、最近ではそれを残念に思うんでなくて前向きにとらえるようにしよう思考にシフトしていっている。おそらく、一期一会、というのはそういうことなんではないかと思っている(先人は偉大!)。

帰るとヒナ氏が新しいタオルを干していて、そういえばちょっと前にバスタオル欲しいと言ってたなと思って、どこで買ったのかときいたら、amazonとのことでした。

あと、なんか、血みたいのがついてた。買ったばかりなのに。

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こわっ!