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紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


人として

心地の良いつかれ、と言えばきこえはいいが、朝早く起き(起こされ)、一日中よく動けば日付の変わる前にはどうしようもない眠気がやって来ている。あらがえないのだ。耳の奥には人の声が残っている。子どもの声は高い。そしてやっぱり早口で、理解するのに一瞬のラグを要する。
山や川ではすべてに興味津々、調理も食事も片づけも目一杯して、外に出ただけで走り回っている。無限だ。子どもは無限。振り回されながら、かれらの自然にふれて人間であることを快復している。感じだ。わたしには子どもはいないし、今後も危ういのだけど、その代わりに時おり他人の子ども(たち)に親切にしているのでそれでチャラにしてほしいと思っている。
そんなこと考えながらしかし数日間すごしてみれば、気づくともう制御できないほどの子どもたちの意思行動パワー。対するこちらがへとへとで、何にも感心している余裕はなくなってくる。はじめの御しやすさはどこへやら(そんな言葉をつかっては怒る向きもあるかもしれないが)。そんで子どもの無法っぷりにわたしが勝てるわけがなく、でもそれが続くのが子どもを持つことなんだと思い、わたしは生活の御しやすさを求めるゆえに子どもを持ちたくないと考えている面もあるような気がした。自分のことで手一杯だ。そしてそれは近代人のメンタリティーという気がした。
でもその代わりに子どものある人は生活時間の表面積がふくれて何倍にもなっている感じがする。それはやっぱり豊かさでもある。
それを選べないのは人としてよろしくないんでないかと考えてしまうこともあるがやはり今のわたしは自分のことしか考えられないのだ。
しかしたまには。ひと月に一度くらいは子どものぐちゃぐちゃさに自分をかき乱されたい。と思ったのだ。