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紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


彼⇔此

ふっと読んでいた記事がF氏の記事で、堅い話かと思ったら、そんなことはなくて、御巣鷹山ってあれだよね、「グランギニョル未来」。と思って検索したら当たっていた。戯曲の乗っている『新潮』を買い求めたのは昨年のことだけど、結局読んでないな。「宰相A」で疲れてしまって。こっちも全部は読んでいない。わたしはこの墜落事件のことをもっとずっと昔のことと思っていたのだけどそうでもなかった。

 

新潮 2014年 10月号 [雑誌]

新潮 2014年 10月号 [雑誌]

 

 

F氏の文章は実体がはっきりとせずゆらゆらしている印象があり、「こういう話」といつも一言で言えないのだが、今日(ああでも昨日の深夜なのね)のはなんだかキュンとして、愛のようなものにふれた感じがしてその場面(といってもそれは新聞の中であり夢の中でありF氏の読んだ文章の中である)を頭の中で繰り返した。とてもいい感じだった。

 

fktack.hatenablog.jp

 

ときどき、自分はとても行儀のいい理想的な読者なのでないかと思うことがある。素直なのだ。

今朝は自分が死んでしまう夢をみた。自分が、というかなんだか大勢で死んでいく夢だった。そういえば以前も自分が死ぬ夢を見たことがあったのだけど、その時は図書館かどこかにいて、少し外に出て戻ってきたら、建物とわたしのいる間の地面にボーダーができていて、帰れなくなってしまった(トム・ハンクスの映画『ターミナル』みたいだ)。どこからか軍が侵攻してきて、わたしの故郷はその建物を本拠地に守っているのだった。それどころか、建物の前には銃を持った兵士がいて、その線を越えるたら射殺するという。しかしわたしはもともと今いる場所側の人間ではないので(というか権力の境を示す線が変わったのだけど)、このままここにいても殺されてしまう。それならば殺してくれと頼んだ。

わたしは、頼むから痛くしないでくれと願い、そう兵士に言ったんだと思う。そうしてから堅く目をつむり、視界は真っ暗に。夢の中で自分の瞼の裏を見ているなんて変な話だけど。それで少ししてから熱さが背中から貫いて、視界は赤くなった。そんなのは映像表現に毒されすぎではないだろうかと今なら思うのだが、ともかく夢の中では「ああ、撃たれると本当にこうなんだ」と思って、そのまま死んでいった。痛くはなかった。安心した。

というのは前回の話で、しかし今朝は何人もの人間が呪術的な方法で死んでいった。わたしの家で(といっても、学校の教室みたいだった)。本当にこんな方法でというやり方で、みんなは次々と斃れていって、最後に残ってしまった。わたしと猫が。わたしもそろそろ死ぬまいかと思ってみんなと同じように首に縄をくくって、同じ縄で猫もしばり、アア、アア、と淵のようなところから濁った水に滑り落ちた。頭から。猫はおとなしくわたしの胸に乗って目をとじていた(『さようなら、ギャングたち』の「ヘンリー4世」みたいだ)。水にふれる瞬間、咽喉がしまって吐き気がし、わたしは吐きながら水中へダイブ、今ならまだ助かると思いながら、猫を抱いて沈んでいったのだった。ブクブク。そこで起きたので、吐瀉物の味と愛しいの猫の黒と白色を反芻しながら。二度寝