紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


梅雨明け、夏、桃

梅雨が明けた。ということは夏になってしまった。なので覚悟をしなければならない。

梅雨明けについて、以前しらべたときに、「明け」の明確な基準はなく、雰囲気とか例年の様子とか鑑みて決めるとあって、そんなざっくりとしたものがこの世には(まだ)あり、とても重要なこととしてまかり通っているということに驚いた。古代の占いのようではないか。(可能性は低いけれど、)これからまた急に前線がかかり雨が降り続くことがあるかもしれない。そんなあやふやな梅雨以降を生きているのだった。わたし達は。ともかく。

まだ梅雨の中にいた一週間ほど前だったろうか、照り付ける日は乾いたピンク色をして、そのほかの色色もざらざらと漫画みたいな水の色のお空、影がいやに濃く出ていて、視界が黄色く翳んで外国のフィルムの中のような色合い。情景を思い出し、やっとの思いで着いた駅のホーム行きの階段を降りたところで熱風が下から吹き付けてきてわたしを包み、足元からまとわりつくその空気にむかしの、といってもいつかは判然としない、小学生くらいのころの夏を、夏休みのような記憶が這い上がってきたのだった。あのワッとする空気の中を小さなわたしは軽々とヤイヤイと走り抜け、なにもかもを楽しんでいた。日焼けも気にしなかったから、手足は真っ黒だった。眩しさにうんざりしながらも太陽は味方だった。家の裏の、隣の家との間にアウトドアのテーブルを出して、そこでスイカを食べたりした。呆れるくらい真っ当な水色のテーブル。植えてある渋柿が風を呼んでサワサワ揺れた。なにもかもが平らで素直でただそこにあった。フウフウ言いながら駅のホームに立っている自分のふがいなさ、ゆらぎ、流れる汗がべたついて不自由だった。よく冷えた電車に乗り込むとそんなことは忘れてしまったが、目を細めて記憶の底をさらうという楽しみだけは残り、こうしていまそれを書くことができる。

昨年の夏は、わたしにとっては、過ごしやすかった。とても暑い時期に山の方で遊び暮らすということができたからかもしれない。帰ってきて都会の熱に閉口しながらも、いなかった間のことをきいてぶるぶると震え(暑いのに)、そこからあとはなんとかやり過ごせてしまった。という印象(日本にもまだ涼しい夏があるのだということがわかったのはよかったことよ)。

しかし、ほかの人にきいてみると、「去年より暑かったよね」とか言われ、それは日がな外を歩いている人だったからそう思うのだろうし、ずっと家にいて冷房をつかう生活の人にも「暑いよね(でもワタシは冷房きかせてて寒いくらい)」とか言われ、なんというか、「年々暑くなっている」で認識を保持しなければいけない人があるのだなあ、という。人は見たいものを見ているだけなんだという気持ちがひしひしと。

ああでも夏の恩恵。桃を食べました。初桃です。みずみずしさが新鮮で「桃だ」「桃だね」でぺろりとなくなってしまった。桃よ。