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紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


人間と動物/続・アタック25

人間の皮をかぶっている。のをはぎ取ってしまいたくなることがある、時々。わたしは、もしかしたら皆さんも、本当は四つ足の動物なのが、人の皮をかぶって変装生活を送っているのかもしれない。

それは比喩だけど、でもやっぱり人間が人間であるためには必要な要件を守ってこそという気がする。たとえば怒りの対処とか。怒るのはいい。感情を否定はしない。そこを誰彼かまわず当り散らすとか、怒っているから他を傷つけていいだとか、そういうラインをかなぐり捨てた瞬間、わたしは獣となり、社会生活全部めちゃめちゃにして山に帰るだろう。

そういうのが強かったのが数日前で、今は人間に戻ってきている。野生を否定したみたいで少し寂しくもなるが(わたしは普段から天邪鬼なので)、しかし、生物が進化してヒトという種に進化したこととか、人間の文明発展とか、技術の進歩・科学の発達とか、わたしがうまれてここまで成長したこととか、そんな直線を投げ捨てたくはない。ので、わたしは人間でいたい。それは気が遠くなるくらいの緩慢さと不便さで、しかも行きつ戻りつもしているが、しかし、そこから駒を進めるしかないという気がしている。

こんなことを書いていても、またそのうちに人間やめたくなるのだろうけど、それでも動物にはならないぞ、と思ったのだった。

父の病気(前回記事)が杞憂だったため、予定どおり母親がこちらに来て、祖母の家にいる。ので、少しだけ顔を出した。母はナイターを見ており、祖母はチャンネルをがちゃがちゃと変えて、観たい番組を物色していた。なんだか雰囲気が違うと思えば、診療所の往診があったそうで、髪を梳かして、ざっくりとしたセーターを着ていた。セーターはぶかぶかで、祖母がすっかり痩せたという事実を思い出させた。祖母はもう気温に左右されない世界に行っていて、毛糸の服を着ていようが、祖母の周りはひんやりとして見えた。髪の毛に負けないくらいの肌の白さ。

「でもやっぱり暑いよ」とは母の弁。母は仕事をやめてから散歩ばかりするものだから、早い時期から色黒になる。それはそれで心配なので、日除けのアームカバーをあわてて買いに行ってプレゼントした。たしか一昨年。

父親のアタック25への情熱についてそれとなく水を向けたが、母にもよくわからないようだった。そう、あの人はクイズ大得意人間でもテレビ出たがり人間でもないのだ(アタック25にはほかのクイズ番組とは異なる空気があるのかもしれない)。ただ、ずっと昔にも出場応募をしていたことは憶えていて、ただし、自分(母)がすごく怒って止めたことについては、忘れてしまったか、どうでもいいことと思ったか、なにも言わなかった。

そのあとは何でもない話をして、父の日の贈り物を言づけて辞去した。祖母はわたしが薄着でないかと心配した。自分は暑さも寒さも感じないのに。不思議だ。雨が降りそうで、レインコートを着るから大丈夫だった。母は「冷蔵庫にあったから」とお菓子をくれた。いろんな種類がふたつずつ入っていた。