紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


ブログ癖/わたしはすくわれた

ブログを書きすぎて、普通の文章が書けなくなった。いやわからない、そうではないのかもしれない。仕事上の文書とかはつくれているし。でもなんだかとにかく、小論文的なというか、経緯とか意見を書くようなものが全然書けない。いやこれには誤謬が。書けるは書けるんだけど、ブログ的すぎて似つかわしくないので却下してしまう、が正解。えーなんなのこれ。みんなこれなってるの!?!?!?!?

 

(そして、現実は想像を飛び越えてくるということを私は経験から知っていますし、信じていますので、この自分の想像は裏切られるのではないかと思っています(し、裏切ってほしいのです)。)

 

たとえば上記。書いたけど、ブログ的すぎてこちらに持ってきた。とりあえず書いてみて、ブログ的な部分を引きはがしている作業中。こんなにも深く自分に"ブログ的なもの"が染みついているとは("ブログ的"ってなんだよとも思うけれど、それはその人が書いてるものにもよるのかな)。いつも心の中でつけている注釈みたいなのが出てくるし、入れ子のような複雑な感情や視線があふれ出ていて、いーやーしかしこれはー。

先日は、海の近くまで出向いてバーベキューをした。BBQって略するの、個人的にださいと思うし、カタカナで書くと間抜けだし、事実に添って「火をおこして肉や野菜を鉄板で焼く会」というのはまだるっこしいし。BBQ(とりあえず簡単だからこの表記を採用する)って存在がやっぱあんまり好きでない(こういう書きぶりが、わたしの"ブログ的"、である)。

その場所には四年前にはじめて行って、皆様とははじめましてだったし、いやよく考えたら知らない人とアウトドアするって拷問じゃん新しい地獄じゃん地獄の新名所だよ地獄新町何丁目だよというようなことではあるけれど、まあなんだかんだ年に2,3度会う人々と、今まではもうなんだか無理やりな感じでつきあってたのが、今回はなんだかすんなりと輪に入っていけて、名前も知っているし知られているし、とても楽な空間になっていたのが本当に。

先日のいたたまれない"ラジオの時間"がなんだったのとなる。しかも、あちらもこちらも同じN先生が絡んでいるのだから驚く。あちらで肩身が狭かったの、わたしのコミュ弱(コミュニケーション弱者、ね)が原因なんじゃなくて、ラジオの人たちの狭量が原因だったんじゃないかとか俄然強気になってくる。

人と仲良くなるのに三年かかる、ってわりと本気で思っているのだけど、それなのか、単純に調子がよかったのか。とにかく、前の週の陰鬱さがふきとんで、「わたしは救われた」と思った。日記にも書いた。

それで、上記の申込についても相談したところ、なんとかなりそうなので再び書いているところ。しかしそれがブログ的になっちゃうの(それはまた別の話)。

今やインターネットに放り投げられる情報量は無限のようなものだから、何も気にせずブログを書いて、滔々と語り続けるみたいな遊びができてしまうのだった。