(承前) 行動→(言葉にまつわる動詞)→言葉
(はりつけるような記事でもないと思ってしまうのだけど一応)
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前エントリの議論が迷いまくっており、読んだ人も混乱したのではないかと思った。混乱以前に適当に切り上げてしまわれたかもしれないけれど。それで特にかまわない。非常に眠かったのと、好きな音楽をかけていてそちらに気をとられてしまっていた。環境にたいへんに影響されたかたちだ。環境に影響、非常に順調、YO!
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その反省から今はそれほど夢中にならない音楽をきいている。
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アップしたあとに蒲団に入って考えて、「言動より行動なら、ぐだぐだ書いてないで、膝つきあわせて話し合いなよ、you、しちゃいなYO!」って思った。いやでも、前回に言いたかったことは、「言葉を信じられないんだから、行動としての"伝える"の結果の言葉ってなんなの、無意味なんじゃないの?」ということなのだよ。なのだったよ。と思ってしまったらまたぐるぐる自分のしっぽを追いかける感じになった。
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そうだ、わたしは「言葉を信じない」のだった。
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それは生来の(といっても育ってきた環境からも影響を受けているんだけど、環境に影響、非常に順調、山頂は慎重、YO!)性質というのもあるし、昔につきあっていた人間の影響もあったなと思った(影響の残響、YO!)。くわしく書けば書いただけ愚痴になるけれど、とにかく、なんでも表明する(させる)わりに口ばっかりで、言葉とはからっぽなんだなとより思ってしまったのだった。ナァ。
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言葉のことは好きだ(ろう)し、なぜって結局わたしはこうして文字を言葉を書いている。ばかみたいに書いている。言葉を信じられないといったって、言葉以外に言葉なものってないのだ。真意が行動にあらわれるというのは結果論っぽいし、態度や考えの表明ができたとしても、やっぱりそれは言葉ではない。
言葉は行動の一つの結果であるのだが、やっぱり特別な面をもっている。言葉は認識を分化させ、わたしを御する、いやでもこれは本件とは別筋だ。
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言葉は遊びの道具である、くらいでいたいのだけど。もう少し考えてみたいと思いながら今日はここまで。