紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


続・登山(と風邪が治った話)

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先日のメンツとまた山へ(参考:山のしきたりインプリンティング)。

気づくと山に登っている人間になりたいとか最近は思ったりするのだけれど、このメンバーの中で分化がはじまっているのがおもしろい。まず、装備をととのえる派閥。わたしもどちらかというとこちら。前回が登山初だぜ! みたいな人が二か月後の今回は服装ばっちりだけでなく、ガスと水を持ってきてコーヒーを淹れていたのには驚いた。どはまりしている。

わたしもちょっとずつ道具を揃えていて、なんとか登山のポールを入手したのを持っていくことができた。そのおかげなのか、筋肉痛がいつもよりひどくない。しかしこれにはほかの理由も考えられる。考えられる理由を以下に挙げる。

1.トレッキングポールを使用したため

2.日々のスクワットが功を奏したため

3.(比較すると)簡単な山だったため

対照実験ができないので、ああだこうだ言うことしかできないのだけど。スクワットときくとすごそうだが、テレビで観た高齢者向けのリハビリのやつみたいなのをやっているだけなのだ。本当に些細。実は効いてなんかいないのかもしれない。

筋肉痛がひどくないというだけで、登山へのハードルが下がる。1,000mもない低山でも辛さを一週間ひきずる身としては本当にうれしい。筋肉痛は筋肉痛というよりは、筋肉固といった感じ、太ももとふくらはぎがガチガチになる。足を動かすというよりは引きずる。形を変えず置いていくように歩く。それがだんだん解けていって筋肉が痛いという感じになる。しかし今回は太ももの痛みがほぼなくて、ふくらはぎがじんわりと痛きもちいい感じからはじまったのでだいぶ軽い。ありがたい。しかし、仲間たちにきくとこんなに筋肉痛になることはないらしく、あれ、わたし、筋肉痛ひどすぎ……? みたいになる。ね。

ただ、問題点がひとつ判明して、それは、ポールをつかってしまうと足元ばかり見てしまうこと。道の向こうや景色なんかをみなくなる。あと、カメラをつかうハードルが上がって、あまり写真が撮れなかった。まあ天気もよくなくて、写真日和ではなかったのだけど。

それで、分化のもう一つはというと、もちろん山は楽しいのだけど、ふだんと変わったことはせず、日常と地続きで楽しもうとする派。本当にいつもの仕事にいくときと同じ格好で、「雨具」と言って、自転車用のポンチョを着ていた。おそるべし。

しかし本来登山なんてそんなものだよなとも思う。昨今のアウトドアブームが消費と直結してるのだとしたら、それに惑わされず、あるもので楽しむ。素晴らしい。年配の登山者を見るとそんな人が多い気も(いやしかし、あれは昔の「登山ルック」なのだろうか。ネルシャツとチノパン、みたいな恰好ね)。

われわれはどちらかというとふれあい登山感があり、喋りながら登るのが主で(映画の話とかめっちゃした)、ものの本によると4時間のコース、なんと7時間半かかった(それはそれで問題)。なので現実的に本格的な山に行くことは難しいので、日常と地続きファッションでも問題はないのだ。その本格指向と日常感の引き合う感じが絶妙のバランスよ。とかいって。どこかで決裂するのかこのままのんびり行けるのか、ちょっと様子をみている。

山に行った日はさすがに風邪から一週間は経っていたのだけど、登りはじめて坂が急になっているへんで、ひどい辛さがあって、これはやばいあかんリタイアかなんて思いながら無言でポールをつかって、首から肩にかけてじんわりとじっとりと汗が出て、これは尋常ではないとか思いながら、ポカリスウェットをのんで寝た熱の晩の起きたときの感じを思い出す。あの汗と同じだ。これかと確信する。そう、発汗足りないと思ってはいたの。汗かいて風邪が治るの。

残っていた風邪の芯がふっと抜けていったのがわかって、それからというもの、まあまあ元気に過ごせています。おじいさんとおばあさんは毎日健康に暮らしましたとさ。とっぴんぱらりのぷう。