紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


きみの中の概念のぼくと握手!

あの日見たことを。つまり一週間前。熱が出るその日の午後。

わたしとヒナ氏は最寄りの駅まで出かけていて、それは昼食と買い物を兼ねてのことで、わたしは園芸用のポールを欲していた。成長したゴーヤが行き場をうしないツルごとこうべを垂れていた。多くの植物は自重をささえる茎を持ち、自立し上へ上へとまっすぐに(多少太陽の方へ傾いて)伸びるのだけど、その一方でまた一部の植物は伸びた重さに耐えられず、上へ行くためになにかに頼らないとならない。なんて無計画! とか言ってみたくもなるけれどそれは人間の考えることであって、植物に罪はない。まさかコンクリートのベランダで育たねばならないなんて思いもしないだろうから。

というわけで無計画なのはわたしの方で、ゴーヤのために、ネットなりを用意しなければならないことを知っていたくせに数日間放置してしまった。そのくせゴーヤ氏がパクチーの首を絞めようとしているとか言って、ツルをちょん切ってしまうのだから残酷物語。懺悔。とにかくゴーヤがポール(とネット)を求めるので、ロイコクロリディウムに寄生された蝸牛よろしく、園芸用品店に遅い足を伸ばす(そしてこの比喩はどうなのだ)。

お店は意外と近くにいくつかあって、最寄り駅の反対側の店舗に行くことにした。それまで園芸用品店なんて考えもしなかったので、少し大きめのスーパーなどに行って、申し訳程度の園芸コーナーで土だの肥料だの買い求めていたのに、こんな近くにマジ店あるのだからやんなっちゃう。これからはここに来よう。

そう店内は数々の鉢植えからはじまって、よさそうな土にプランターに植木鉢! ポールの豊富な品揃え。短いのから長いものまでなんでもござれ。パラダイス。育てていなくても楽しい。むっとする匂い。濃い空気と湿度。おまけに猫までいて店内を歩いていた(ヒナ氏は嬉しさのあまり、ねこあつめのBGMを口ずさんでいた)。

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(ねこあつめ風)

(自覚はあるらしい)

そしてその帰り道。長いポールを何本か買ったあげく、ヒナ氏に持たせることに成功したわたしなのだけれど、駅にさしかかると、なんと今をときめく仮面ライダーのイヴェントをやっており、子供連れの家族が幾人も青いシートの上に座らされていた。

おそらくショーははじまっておらず、敵役(怪人側というのだろうか)のマントを着た黒い人間が観客の子どもを3名ほど捕まえてきて、前に、つまり観客の側に向けて立たせ、名前と年齢、将来の夢をしゃべらせていた。

本来ならばステージのようなところでやるのだろうけど、その駅前の広場にはあいにくそんな設備はなく、一帯の隅に普段はない白い簡易テントが建てられていた。テントは運動会などでみるようなものに周りは布がかかっていて、中は見えなかったけれど、どうやらそこにこのショウの秘密が入っているようだった。そしてテントの前に幾分かのスペースがあり、その先にブルーシートが広々と敷き詰められていた。観客と舞台(と呼んでいいのなら)はフラットで、継ぎ目がないのが良かったとあとから思った。地面(つまり舞台)の端には大きなスピーカーが設置され、その後ろに音響のものらしい機械、スピーカーに隠れて男性と女性がひとりずつ座っていた(われわれはスピーカーの男女が見える位置に陣取った)。

子どもたちに質問をする悪役はマイクを持っていて、質問したあとは子どもにマイクを向けて答えさせ、将来の夢や好きな遊びをきいた後には、「君ならなれるよ」とかこれまた至極まっとうな発言をした。そして最後にはご褒美として、テントの中からあらわれた下っ端の怪人が仮面ライダーグッズを渡していた。それだけでもうおかしな風景だった。

その贈与式が終わると、かれはマントをばっとはらい、「お遊びはここまでだ!」と言って、ストーリーをはじめた。先ほどまで子どもにグッズをあげていたその場所で、観客と地続きになっているその場所で、突然にはじまるお芝居にわけがわからなくなりそうだった。怪人もライダーも同じテントから飛び出してきたし、声を出しているのはスピーカーの後ろの男女だった。女性の方はたまに舞台に飛び出してきて、「たいへん、ピンチだわ!」とかあおった。黒い怪人だけがマイク片手に戦っていて、女性以外の出演者の声はスピーカーの後ろの男性ひとりが担当していたし、そのマイクと反対の手で男性は機械のボタンをいじって音量や効果音の調整をしていた。ライダーが危なくなると女性が「がんばってー!」と言い、子どもたちも「がんばれー!」と続いた。

表と裏を同時に観ていたせいなのか、いやもう単純にわたしがおとなだからなのか、ヒーローショーとはこういうものなのかとショックであったが、子どもたちは真剣にライダーを応援し、ショーに没入していた。ライダーに必要不可欠なバイクだか車だかも登場せず、効果音だけで武器も光ったり変形したりしなかったのだけど、おそらく子どもたちの頭の中では、いつものように武器が輝き、ズバッと斬った(斬られた)そのときには何らかの効果が見えていたのだろう。しかもそれを目の前で応援できるのだからたまらないことである。

子どもたちの想像力がすばらしいということと、たとえばこうしたヒーローショーにかかわる人たちのインタヴュー「子どもたちに夢を与える仕事がしたいと思って」とかが思い浮かんだけれど、それは違ってこちらがなにもしなくても(少しの手助けがあれば)子どもたちは勝手に夢を補完していくのではないかと思った。

悪が倒れたあとには、会場のみんなで仮面ライダーの曲(オープニングだかエンディングだか)を歌って、希望者はライダーと握手ができる列に並んだ。といっても、ライダーは実際はテレビでみるあの人ではないわけで、子どもたちが何と握手するのかというと、自分の中のライダーとであって、概念と握手するのだねと言い合って、わたし達は帰宅した。子どもたちの興味は外に広がるようにみえて、実は自分の中に伸びているのだというのがとてもよかった。わたしはその二重劇のようなものが見られて、とても嬉しかった(そして熱が出た)。

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 ふと横をみたら、自分の身長より高い棒を持った人がいたので、乱入してほしいと思ったのだった。