紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


熱のある日記

熱が出た。出かけて帰ってきたところで頭が痛くって、まあでもそんな時期だし水分をとれば治るだろうと思っていたのが、横になってだんだん寒気がしてきてこれはあかんと思い取り出したるは体温計、それでもうだめ。疑惑が確信になった瞬間にわたしの身体は病人になった。  
そんなことのんきに書いているなんてと思われるかもしれないし、まあ自分でもそう思ってるんだからゆるしてよってところなのだけれど、横になって数時間、いっこうにねむれず、すでに録画していた映画を一本観てしまっていて、しかし眠れないし、そんなだからもう熱のある状態で日記を書いてみたらええじゃないですかとはんなり紳士が出てきましたのでそういうこと。  
昨日は同居人が微熱があるといって、急遽おかゆパーティ(リッツパーティのおかゆ版)をもよおしたのだけど、本日はわたしが記録塗り替えのK点越えでパーティの主賓になる感じだ。キッチンでは炊飯器がおかゆを炊いているごとごと(昨日は土鍋でしたねぶくぶく)。  
出かけている間は元気でとても良いものを観たことを書きたかったのがまた後日。蒲団をかぶって発熱しつづけるわたし。今日は寝具を洗ったり外に干したりもして、それを取り込んだままのひどい寝床でななめに横たわっている。同居人が氷まくらを持ってきてくれる。ひどい状態になにも言わず、特定の人(男子っぽい人に多いんじゃないかな)が持つ、部屋ぐちゃぐちゃでも気にしない感に感謝する。たぶん。逆の立場であれば、病人を少しのかしてシーツを敷いたり掛け蒲団をなおしてまっすぐに寝かせるとかしてしまう。なぜってその方が気持ちよい。病人のためになると信じてやるだろう。ただ、自分が臥せる身になって思うのは、そんなのはどうでもいいということだ。どっちでも気にならない。整えるのが先か後かってだけだ。  
というのをななめになりながら打っている。そろそろ寝られるだろうか。ああ身体がいたい。