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紙とくまの生活。
忘れるために書く日記。


インターネットのモウ

変わらず川上未映子を読んでおり、いえ間にべつのもちらちら読んでいるのだけど、気になる部分に付箋をしていったらもうすべて。すべての章ごとにピンク色の細長が貼られる羽目になりまして、アアしょうがないとひとまずわきにおく。

しかしなんだか。インターネット。いろいろな言説が飛び交っており、それを吸収することはかしこい or おろか? 非常に非情な二者択一をせまってくるあれこれ。まあまあ有名になるとああだこうだ言う輩がでてくるのはなんででしょうね。世のつねとはいえ。人をにくむにもエネルギーが要りますから興味深いことではありますが。

津原泰水のことを考えて甘くゆたかな気持ちになる。少女小説の時代から読んでいたので20年ほどのつきあいになる。津原やすみ名義で(性別を秘して)書かれた背表紙がピンクの文庫は、十代の少年少女の恋愛はたまたその他のどたばたを描きながら他の少女小説とは一線を画していた。と思う。愛だの恋だの一辺倒ではなく、少しだけSFやらミステリの要素があって、さわやかで読みよかった。恋人の男の子の名前はホシオといって、デヴィッドボウイの"star man"から直訳そのままいただいているそうだ。当時はぴんときていなかったけれど、その15年くらい後に、その曲を聴くようになるのだから運命は不思議。もといた場所にかえってくる。

少女小説界から突然姿を消した津原やすみが泰水名義で(わたしの中で)発見されたのがその数年後。それも一転、『妖都』とかいって、おどろおどろしい感じの小説をひっさげてあらわれるのだからそれは驚く(タイトルから小説の雰囲気やジャンルが明らかになるのはすごい)。というような昔話。あの、鬱屈とした実家時代、周囲が好きでないということもわからない時期に好きだったものが二十年近くたってもまだ側にあり、実用に耐えうるのは、とても幸せで、非常に心強いことだと考えた。

嫌いな人の声をききながら、ワアつまらないお話などと思いながら(失礼なことでありますね)、会話にはくわわらずわたしは背中を向けながら、しかし前向きにきいてみようと、耳から入った情報を自分の中で反射させるイメージ。身体の前面、心臓の前あたり、白い部屋の窓をあけてこれまた白い光がわっと入ってくる、とんでもない善のイメージできいてみて、そうするとその人が自分の子どものような気になれて、なにを言ってても、ウンウンがんばっているねというような、けっきょく聞き流しているので同じようなものだが、イライラしながらきくよりよっぽどすばらしい、遊び。茶化せるのだからすごく。快復していると実感する。わたしは弱い。弱くて強い。ラジオ体操のように両手を大きく広げ、胸をひらーく! というイメージで。そういう遊びをしています。

文章、書いてる人は地続きで、かつ書かれているものは個別性を持ち得るつまり書いてるそのたびごとに書き手は別人でもあり得るのだよネェ。当たり前のことを当たり前に、何度も置いて確かめる。